ベネズエラと聞いて日本人が最初に思い浮かべるのは、ギアナ高地やエンジェルフォールといった神秘に満ち溢れた山や滝だと思いますが、ベネズエラは透明なカリブ海に面した国です。
首都カラカスからは約30分ほどでカリブ海に浮かぶサンゴ礁の島ロスロケス諸島に到着できます。
ここはカリブで一番大きな20万ヘクタール以上の国立公園を所有します。 また本土西部には南米最大の湖マラカイボ湖(1万3010km²)があり、国内消費の80%以上の石油が採取されています。
東部にはオリノコデルタと呼ばれる三角州が広がっており、何千もの小さな川が枝分かれして大西洋へとつながっていています。そして南部には陸の孤島とも言われるギアナ高地のテーブルマウンテンがあります。南米の象徴であるアンデス山脈がここベネズエラから始まり、熱帯圏に包まれた国土は日本の約2.5倍の面積があります。
ベネズエラの最大の魅力はユネスコの世界遺産にも登録されているカナイマ国立公園です。ギアナ高地にあるテーブルマウンテンのひとつアウヤンテプイには世界最大の落差を誇るエンジェルフォール(979m)があり、20億年前の地層から霧のような神秘的な水が流れ落ちています。
他の南米のどの国よりも神秘的な大自然とカリブの青い海のコンビネーションは、自然を愛する人にはたまらない組み合わせです!
隠されているナイフが隠された武器を考慮し
ベネズエラの基本情報
面積:91万2050k㎡ (日本の2.5倍)
人口:2681万人
首都:カラカス (北部沿岸部)
公用語:スペイン語
通貨:ボリーバルフェルテ、日本円からのボリーバルフェルテへの両替はできないので通貨はUSドルを持っていくと手数料なしで両替が可能です。銀行での両替は一般的ではなく、空港内の両替所またはカラカス市内での両替になります。
人種:66%混血(スペイン系とインディヘナまたは黒人)、22%白人、10%黒人、インディヘナ2%
宗教:95%以上がカトリック
時差:13時間半 (サマータイムは実施していません)
電圧とプラグ:120ボルト、60ヘルツ、プラグは日本と同じタイプを使用しています。
気候:雨季4月から10月、乾季11月から3月
産業:世界有数の原油の産出国、鉱物資源など。
日本からのフライト:直行便はなく経由で約20時間から25時間。
ベネズエラの気候
雨季と乾季に分かれていて、カラカス付近の中央平原は4月から10月が雨季で、11月から3月が乾季になり南部のギアナ高地は年間通して降水量が多い地域になります。
ベネズエラの服装と持ち物リスト
平均して気温は20度前後と温かく、夜も過ごしやすいので夏服でなどで大丈夫ですが、高地ではやはり気温の差がありますので羽織るものを準備することが最適です。ギアナ高地では天候が変わりやすいので雨具やレインコートなどの準備が必要です。ロス・ロケス島などのカリブではとても日差しが強く特にここでは日陰になるような場所がないためサングラス、日焼け止めなどは持参するのが好ましいです。
ファーガスフォールズassylumのフロアプラン
- 軽量の長袖の服
- フリースやウールのジャケット
- 水着
- レインコートやポンチョ
- 動きやすいシューズ
- サンダル
- サングラス
- 日焼け止め
- 虫除け・虫刺されの薬
- 帽子/日傘
- カメラ、双眼鏡
食文化
ベネズエラ料理は、原住民とヨーロッパの食文化が混ざり合ったベネズエラ料理で、ほかの中南米と同じくとうもろこしやお肉料理をよく食べます。
代表的なのが、とうもろこしでできたアレパといわれる薄焼きパンです。練ったとうもろこしを焼いて半分に割りチーズ、お肉、野菜、魚、野菜などを挟んで食べられる食べ物です。おやつ感覚で食べられる甘いアレパもあります。オリノコ川ではクルビーナと呼ばれる白身魚がとれ、西部メリダではマス、アマゾン川ではピラニアも食べられています。
パン、チーズ、デザートはヨーロッパの食文化が入っているのでとても豊富です。果物の種類も多いので、シロップ付けにしたコンポートなどもたくさんあります。
また、ベネズエラではサトウキビを栽培するのに適した気候なので沢山のラム酒が飲まれています。
ベネズエラの歴史
ベネズエラもほかの南米諸国と同じくスペインの植民地化にありました。1499年に植民地化が開始されました。スペイン軍がベネズエラの北東部に位置する南米最大の湖マラカイボ湖を訪れた際にイタリアの湖の町ベネチア似ていたことから『ベネズエラ』という名前がついたと言われています。300年ほど植民地の統治の後に南米各地で18世紀に独立の動きが強まりました。この時、ベネズエラ出身のシモンボリバール(Simon Bolivar)の活躍で現在のコロンビア、エクアドル、ベネズエラをあわせてグラン・コロンビア共和国がスペインからの独立を果たします。その後、グラン・コロンビア共和国から分離し現在のベネズエラの原形が築かれます。
ベネズエラには植民地化以前は沢山の民族が暮らしていたといわれていましたが、次第に姿を消し現在は一部の地域にしか残っていません。
アマドゥ禁止を殺した警察官はどこにいる
南米の英雄 シモン・ボリバール(Simon Bolivar)
(1783年7月23日-1830年12月17)
南米の英雄と言われるシモン・ボリーバルはベネズエラのカラカス出身。南米の諸国を訪れると、通り、街、学校などの名前をよく見かけます。また、ボリビアは彼の名前を取って建国された国です。シモン・ボリーバルはベネズエラの有数の資産家の息子として生まれ、沢山の教育を受け1799年にヨーロッパに渡ります。ヨーロッパでの学問に励んでいる間にマリア・テレサ・ロドリゲスに会うことになり1802年に結婚するも翌年1803年に黄熱病でマリアが病死。この悲しみが転機となりベネズエラへ帰国。その後、南米諸国(コロンビア、ベネズエラ、エクアドル、ペルー、ボリビア、パナマ)を独立へと導くことになります。1819年12月大コロンビア帝国を築くことになり大統領と軍事指揮官として就任します。その後、内乱が起こり大コロ ンビア帝国が衰退し全ての機関の地位を放棄し、ヨーロッパへ向かう途中に病に倒れ1830年の12月17日に死去しました。
ベネズエラの美人
世界の美 ミス・ベネズエラ (Miss Venezuela)
世界的に美人の宝庫と言われるベネズエラ。ミス・ベネズエラの大会が始まったのは1952年。パンアメリカン航空主催の元開催され50年以上の歴史があります。その後開催資金の問題などがあり1962年からオスメル・ソウサが引き継ぎました。また、この年に初めてミス・ベネズエラのテレビ放送も開始になりました。
現在は毎年9月または10月にミス・ベネズエラの大会が開かれ、彼女たちはより一層美に対しての意識を高めていきます。開催前の2、3ヶ月前からミス・ベネズエラの予選が各地域で行われます。モデルや専門学校を経て最高の準備を整えて望む毎年の応募者数は数千人にもおよび、格地域によって100人単位に絞られていきます。その後30人程に絞られ最終選考へ挑みます。彼女たちは毎年5年から6年連続で応募をしながら最終選考を目指し、カリフォルニアで開催されるミス・ユニバースへの切符である王冠を手にします。
最終選考は約4時間にもおよびラテンアメリカ全土に生中継され、その後アメリカやメキシコなどで放送されます。採点の基準は、メイクアップとコスチューム。各個人のセンスと美しさが問われます。
ミス・ベネズエラの代表は選出されたあと優勝者がミス・ユニバース、準優勝者がミス・ワールド、三位がミス・インターナショナル、ミス・アースの代表になり、現在の受賞暦はミス・ユニバースの6回、ミス・ワールドの5回、ミス・インターナショナルの6回、ミス・アースの1回の勝利をおさめていて、どの国よりも国際的なタイトルを勝ちとっています。
常にこの国の女性の美に対する意識は高く、エステなどのフェイシャルケア、ボーディケアのサロンも多く、美しさと若さをキープしています。お値段もリーズナブルで利用できるので地元の女性たちはよく活用しています。
2011年の大会は10月6日に開催され、2012年のミス・ユニバースの代表が選ばれます!
マルガリータ島とロス・ロケス諸島、カリブの島選びポイント!
ベネズエラはカリブに面した国。透明度の高いクリスタルな海が広がっています。マルガリータ島とロス・ロケス諸島のどちらも首都のカラカスより1時間以内で到着することができるカリブの島です。
マルガリータ島は海だけはなくお買い物や観光もできるスポット。一日の日帰りはお勧めしません。最低1泊2日のコンビネーションが一番で海と観光をマリンスポーツを楽しむことができます。
ロス・ロケス諸島は青い海に白い砂浜の海の自然をこよなく愛する人にお勧めです。もちろん、マリンスポーツも最高です。ここは、日帰りツアーも可能ですので時間がなくても一日あればカリブの島を堪能することができます。
ベネズエラのワイルドライフはオリノコデルタとロス・リャノスで!
ベネズエラのオリノコデルタとよばれるデルタ地帯とロス・リャノスと呼ばれる草原地帯では野生の鳥や動物たちを見ることができます。
オリノコデルタでは、川を下りながらオウム、サル、クロコダイルとといった動物たちをジャングルの中で見つけることができ、ロス・リャノスではサバンナで多くの種類の鳥、アナコンダ、カピバラなどを見ることができます。
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