毛沢東が中華人民共和国を1949年に建国した後、中国は「産めよ増やせよ政策」を文化大革命終了(1970年代後半)まで30年に渡って取りました。
「産めよ増やせよ政策」とは、平たく言いますと「避妊と中絶は認めない」というものです。この頃の中国に住み、最下層の生活で貧困に喘いでいた中国残留婦人の手記を読むと
「避妊も中絶もみつかると厳罰に処せられる。妊娠は避けられず、出産時は自力で産むしかない。極貧のため産婆に来て貰うことも出来ない。産んだ子供は、栄養不良と病気でどんどん死んでいった」
という痛ましいことが書かれているものが多いです。
文献:「満州・その幻の国ゆえに 中国残留妻と孤児の記録」
図書館で探してください。涙なくして読めない本です。
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毛沢東の建国した中国は、スターリンのソ連を手本にした国です。この国作りのモデルでは、人口は多ければ多いほど良いのです。
理由:
1) スターリンのソ連が外貨を獲得する手段は、適当な理由で政治犯を「製造」し、強制収容所(実態は、待遇最悪・安全設備なし・無給の鉱山等)に「政治犯」を送り込んで、人海戦術で好物を採掘して海外に売り、外貨に換えることでした。この方法ですと、政治犯は半年もすると半分くらいに減ってしまうので、次々に政治犯を補充しなければなりません。この手法は「国民の生命を外貨に換える」に等しいですが、スターリンのソ連では確かに有効でした。
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2) 朝鮮戦争で、中国軍は人海戦術を取り、100万人が死亡したと言われます。人海戦術とは「敵の陣地に向かって突撃する。退却する者は後ろの督戦隊が機関銃で射殺する。退却した者の家族は反革命罪で強制収容所に送る」といったもので、2000年ごろの映画「スターリングラード」でソ連軍がやっている「ドイツ軍の陣地に銃も持たない新兵を突撃させ、ドイツ軍の弾薬を消耗させる」人海戦術を模倣したものです。こんな戦争をやっていれば、やはり国民はいくらでも要ることになります。
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毛沢東の「産めよ増やせよ政策」は、「産んだ子供が生き残れるか」は無視していましたので、生まれた子供の多くが飢えや病気で死にました。1950年代の中国は農業生産力は低く医療レベルも最低でしたので。しかし、生き残った分は人口を増加させました。1950年代末には大躍進政策の失敗で飢饉が起き、そこでも多くの子供が餓死したでしょうが、その後も産めよ増やせよ政策は継続され、人口が増え続けました。
毛沢東の死後、文化大革命が打ち切られ、トウ小平が権力者になった1980年ごろに、「産めよ増やせよ」が「一人っ子政策」に180度転換しました。これは「二人目の子供を産むと厳しく罰せられ� �」もので、「産めよ増やせよ」の反対です。
中国では都市戸籍保有者(エリート)と農村戸籍保有者(その他)が法律ではっきり分けられており、都市戸籍保有者は少ない子供に多額の教育費をかけています。都市戸籍保有者については、人口爆発は止んで久しいです。日本に報道される「中国の様子」は、都市戸籍保有者の話ばかりです。
一方、中国の人口の9割くらいが農村戸籍保有者ですが、彼らは子供の教育など一切考えずに子供を作っています。なぜかというと、教育等無視すれば「子供は多ければカネになる」からです。農村では法律などあってないようなものですから、農村の人口増加抑制は難しいでしょう。そのため、中国の人口増加は今後も加速する方向と思われます。
投稿日時 - 2007-06-19 12:05:32
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