2009年03月08日
"選手と観客の距離が近くなった!" ~JBLにおけるスポーツ興行としての変化の兆し
1年前の国立代々木競技場第二体育館。新生JBL、日本バスケットボールリーグのプレイオフ・セミファイナル、そしてファイナルが行われた会場の観客席は、空席が目立ちました。アイシンとトヨタで争われたファイナルでも、例年は立ち見も見られるほどでしたが、些か寂しい感じを受けたものです。そして、2年目の今年も、プレイオフ進出チームが決定し、本日は、いよいよレギュラーシーズンの最終戦となりました。今年は、セミファイナルが札幌市の北海道立総合体育センター(きたえーる)でも開催され、また、ファイナルの第1戦から3戦までは東京体育館での開催です。国立代々木競技場第二体育館は、約3,200人のキャパでしかありませんが、今年はその倍の規模の会場を使用することで、より多くの観� �の前で、シーズン最後の戦いを繰り広げてくれることに期待したいと思います。 さて、今シーズンのJBLですが、何か一味違った感じを受けています。特に、昨シーズン6位の成績に甘んじた日立サンロッカーズは、1月の全日本選手権で初の決勝進出を果たしたばかりか、リーグでも確実にプレイオフにコマを進め、試合内容も、チームの特色を活かした見せ場が多く、観客動員も、徐々に伸ばしている傾向が見た目でも明らかです。その要因はどこにあるのか?。 確かに、田臥選手要するリンク栃木ブレックスとの試合では、五十嵐選手との同期対決、ポイントガード対決もあり、JBLの人気を二分するほどの注目度で、どちらのホームゲームも盛況でした。外国人選手の出場制限を設けたオン・ザ・コート・ワンにより、日本期待の大型選手である竹内譲次選手の活躍もより一層際立ち、また、観客に対してキチンと自分たちのバスケットを魅せることを意識し始めているようにも感じます。何よりも、昨年の日立と比べて変わったことは、選手たちが観客に近付いていったことだと思います。その象徴が、シーズン終盤の国立代々木競技場第二体育館でのゲームでした。それまでの日立、もしくはJBLの中でプロチームとして活動する2チームを除く他のチームは、企業チームとしての体質が� ��骨に見られ、選手たちの中にも観客サービスといった感覚は、なかなか芽生えていなかったように感じます。昨日のゲームでも、試合前の選手入場の際には、前シーズンまでは何かけだるい感じで、恥ずかしいのかどうなのか、ピリッとしたムードはありませんでした。しかし、今シーズンは、そこから選手の顔つきが変わってきているように感じます。そして、試合後の観客に対しての、来場してくれたことへの感謝の態度は、やらされている、という感じではなく、間違いなく、選手が自発的に観客に近付こうとしている意識が見て取れます。恐らく、そうした態度や意識の変化が、ファンに伝わって、結果的に観客動員の増加に繋がっているのだと思います。 確かに、観客を魅了するフレーの一つ一つは、試合をやらされているのではなく、自分たちのゲームを、ブレーを見てくれ!・・・、といったような意識の変化がなければ、それは観客には伝わりません。企業チームであっても、観客を迎えてゲームを開催しているのですから、当然と言えば当然のなのですが、前シーズンまでのJBLには、そこが欠けていたようです。プレーの質や力はともかく、bjリーグとの違いは、プロ選手としての意識の有無。そこに尽きると思います。"俺たちはbjリーグとは違う"。そんな驕りは、ファンには必要ありません。如何に観客を魅了するゲームができるか否か、それが観客を迎えてゲームを開催するチームの義務です。そこに、企業チームもプロチームもありません。 JBLは、興行権というホームチームとしての試合開催権と、それに付随する収入確保の手段が保障されています。しかし、企業チームの本来としては、その興行権は、ほとんど意味を成しません。日立も、その権利を外部の運営組織に譲渡してホームゲームを運営しているのが現実です。それだけに、興行、つまりお金を払って試合を見にきてくれている観客に対するサービス精神は、恐らく何もなかったかもしれません。それが、選手の意識がお金を払って応援に駆けつけてくれる観客、ファンに向いてきた。それが、自分たちのプレーにも表れてきた、というのが先日の試合会場で見せてくれた姿だったのかもしれません。企業チームと言えども、来場する観客からの入場料収入で、試合の開催、運営が支えられていることを、日立� ��ように意識することができれば、チームというのはこれほど変われるのだ、ということを示しているのでしょう。世界的な経済不況の中で、何時、チームが無くなってしまうか誰も保障できません。企業チームという存在であっても、ブレーすることが仕事なのではなく、ゲームを創ることすべてが仕事だ、という意識が持てれば、その存在意義にも、新しい視点が見出せていけるかもしれない、と感じます。JBLプレイオフでは、どのようなゲーム創りを見せてくれるのか・・・、楽しみです。 国際大会では、セキュリティ重視の視点と、大会運営の効率という視点から、選手と観客の距離感は、幾分遠いものとなります。大会を安全に運営することに重きを置いた運営計画の設計になるからです。しかし、NBAを見るまでもなく、リーグはファンあってのもの。選手と観客の距離感は、出来るだけ近いものになるように設計されます。そこでは、選手とファンとの間に信頼関係がある、という前提で、セキュリティや運営効率以上に、ファンサービスという概念が先に立ちます。そして、選手たち自らがファンに近付く意識を持つことで、ファンの満足度は、試合を観戦すること以上に、選手やチームに対する愛着を醸成していく方向に向かっていきます。日立の場合も、いろいろと葛藤はあったことと思いますが、いまは、確� ��に真のホームゲームを創る術を、身に付けつつあるようです。
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2009年02月03日
「JBL + bjリーグ = ???」番外編その2 ~3つのリーグがひしめく"ストリートボール"
日本のストリートボールシーンには、2005年にプロリーグとして活動を開始した「LEGEND」というリーグ、そして、そこで活躍していた一部の人たちによって2007年に創られた「SOMECITY」、そして、2005年から5on5トーナメントを開催している「ALLDAY」などがあります。「ALLDAY」は、プロリーグではなく、誰でも参加できるノックダウン方式のトーナメント大会であり、「ALLDAY 5on5 TOURNAMENT」として開催されているので、「LEGEND」や「SOMECITY」とは一線を画しているのかもしれません。ちなみに、この「ALLDAY 5on5 TOURNAMENT」を運営しているのは、元々は学生団体であったNPO法人KOMPOSITION。ナイキジャパンがシューズのリサイクル素材を使用して作ったバスケットボールコートを渋谷区に寄贈して、マイケル・ジョーダンの名を付したコートとして話題になった美竹公園のコートの運営も行っているようです。また、「ALLDAY 5on5 TOURNAMENT」も、代々木公園にナイキジャパンが寄贈し設置されたリサイクルコートで行われており、"TOKYO No.1"チームを決定する2dayトーナメントと銘打って、週末を熱くしているようです。 日本最初のプロ・ストリートボール・リーグの「LEGEND」は、今年で8年目のシーズンを迎えます。前シーズンのスケジュールを見ると、10月に開幕し、12月までの11節とグランドチャンピオンシップを行っています。特徴的なのは、チーム戦ではなく、"レジェンドボーラー"と呼ばれる個人での参戦により、最終的にたった1人の最強ボーラーを決する戦いだということです。それぞれの試合は、毎回その日限りのチームがシャッフルして編成され、3on3ゲームを戦います。現在、公式ウェブサイトに登録されている"レジェンドポーラー"は、22名。彼らは、出場料が支払われる立派なプロボーラーたちなのです。ゲームレギュレーションは、5分間の3ラウンド。試合毎に、勝ち、負け、引き分け、そして15� ��差以上のKO勝利と、それぞれポイントがポーラー個人に加算されランキングされていきます。チームだけではない、個人の戦いでもある点、そして、個人だけでは勝てないために、その時のチームメンバーを活かす術も必要である点が、プロフェッショナルとしての力を高めていくのでしょう。"伝説"という名をリーグタイトルとした「LEGEND」こその真価が、そこにあるような気がします。ちなみに、今週末の8日には、女子バスケットボールのWJBL、富士通レッドウェーブのホームゲーム(@川崎市とどろきアリーナ)に際して、エキジビションゲームを行うそうです。しかも5on5ゲームです。8分4クォーターですから、ここでも「LEGEND」の魅力が見られるかもしれません。3on3で養ったテクニッ� �を5on5でどう見せてくれるのか、ぜひご注目を・・・。 さて、そのLEGENDから分かれて創られた「SOMECITY」は、LEGENDがチーム戦でありながら個人の戦いの場であるのと違い、レギュラーの3チームに対して、"Who's Got Game?"という参加型のストリートボール大会を勝ち抜いたチームが加わった、4チームによるリーグ戦です。設立当時は、レギュラーチームに追加するボーラーを選出するための大会であったようですが、このオープンランと呼ぶ方式を続けていく内に、もっと誰でも入ってこれるものであるべき、という考え方に転換し、現在の運営形式になったようです。4チームによる所謂公式戦は、クラブチッタ川崎で水曜日の夜などに行われていますが、そこにエントリーするチャンスを得るための"Who's Got Game?"は、誰でも参加しやすい土曜日や日曜日の昼間に開催されています。「SOMECITY」の公式ウェブサイトを見ると、とにかく参加するボーラーの自由度を重視しているようで、事務局の方針として次のように書かれてあります。「予定調和な未来が感動を生まないように、過度に人工装飾された、誰かに飼い慣らされたストリートボーラーに真の魅力はありません。私たちSOMECITY事務局は、SOMECITYの運営は必要最低限の手助けだけにしようと思っています。誰かを、何かを過度にコントロールすることは極力するまい、と思っています」。LEGENDとの違いが、何となく分かる気がします。ちなみに、今シーズンの開幕は、いよいよ明日、4日です。 そして、昨年12月に記者発表された第3のリーグとも言うべき全日本3on3バスケットボールプロジェクト、「AJ3on3」が、いよいよスタートするようです。「AJ3on3」を運営するのは、愛知県に全天候型のバスケットボール専用レンタルコート"DO-COM.ARENA"を経営する株式会社インディペンデンス。2004年から大阪で営業している"NKS-405"というレンタルコートの運営会社や、新潟にある"nBb-1on1"というレンタルコートの運営会社との提携も計画の柱としているだけに、「AJ3on3」は、そうした既存のレンタルコートを舞台として大会を創り出していくようです。今年は、前述の愛知、大阪、新潟に加えて、新規に3ヶ所の都道府県での大会を予定しているとのことで、� ��には6つの地区の代表が集う全国大会となるようです。プロジェクトの最終目標としては、全都道府県での3on3の地方開催、年1回の全国大会とアメリカラウンドの開催、そして1つの都道府県に2つのレンタルコートを設置する、などを掲げており、上記2つのプロリーグの存在とは、プレー環境の拡大や、より一般的な参加機会の創出という点で、かなり意図が異なっているように思います。どちらかというと、私がスポーツメーカーの販売促進の一環としてやっていた時のような、地方にバスケットボールのプレー機会を作り出していく、まさに草の根活動のようなものではないでしょうか。レンタルコートの営業の促進策とも取られなくもないですが、プレー環境に乏しい日本のバスケットボール事情、あるいはスポーツ事� �の中では、致し方ないのかもしれません。 何れにしても、尖ったような存在であるプロリーグから、町のレンタルコートに至るまで、3on3を、安易に、または管理的に組織で縛る方策は無意味だと思います。自由度があってこそ楽しい、というのもスポーツの醍醐味です。
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2009年02月02日
「JBL + bjリーグ = ???」番外編その1 ~"3on3"を巡る日本、そして世界の動き
去る12月16日、日本バスケットボール協会は、3on3バスケットボールの統括組織の設置を検討することを決めた、という旨の報道が出されました。また、翌17日には、全日本3on3バスケットボールプロジェクト、通称"AJ3on3"の記者会見が行われました。そして、あくまで個人的な感想ですが、私が3on3のコートを汗水たらして作りながら、全国の主要都市で大会を開催して回っていた15年以上前のことを考えると、"組織"やら"プロジェクト"という言葉が踊っていたこうしたマスコミ報道が出ること自体、何やら不思議な感じを受けました。こうした状況は、JBLやbjリーグの将来のあり方そのものとは一線を画している内容であるようですが、バスケットボールをプレーすることが好きな� �たちや、もっと自由にバスケットボールを楽しみたいと思っている人たちは、JBLやbjリーグがそのままの形で存続しようが、新しいリーグに生まれ変わろうが、それらリーグの大事なファンになってもらわないといけない人たちですし、また、日本のバスケットボールの、本当の意味での底辺なのですから、その動向を捉えておくことも大事だと思い、ここに取り上げることにしました。 日本バスケットボール協会が、3on3バスケットボールに対して正面から向き合い始めたのは、昨年10月にインドネシアのバリで行われたOCA主催のアジア・ビーチ・ゲームにおいて、3on3が実施競技として採用されたことにも起因しているかもしれません。FIBA、国際バスケットボール連盟も、"FIBA33"という名称で、公式ルールを策定していますし、また、2010年に開催されるIOC主催による14歳から18歳の若いアスリートたちを対象とした第1回ユースオリンピック(シンガポール)でも、3on3が"33 Basketball"競技として採用される予定であることも考え合わせると、3on3に対する組織的な取組みは、ひょっとしたら世界的な流れにもなっていくのかもしれません。(ユースオリンピックで何故3on3なのかが大きな疑問でもあるのですが・・・。)事実、3on3というものに対して、当然のことながら何ら具体的な取り組みもなかった日本協会にとって、アジア・ビーチ・ゲームへの選手の派遣要請には少なからず戸惑ったことも聞いていますし、ユースオリンピックとなると、当然、FIBAの関与もあり、その加盟国の組織である日本バスケットボール協会としても、キチンとした派遣体制を整えていくことが必要になります。 ただし、ここで少なからず懸念を抱くのは、3on3に代表される、所謂ストリートバスケットボール、またはストリートボールと呼ばれているものが、単純に、スポーツ競技としてすべてを括られてしまうことがいいのかどうか、ということです。そこには、組織的な縛りがない自由なプレイグラウンドがあるはずですし、そもそも、体育館などの既存施設では自由にプレーでないからこそ、日本のストリートバスケットボール、またはストリートボールの文化は、脈々と生き続けてきたのだと思います。いまでは、プロリーグが誕生し、そこで活躍するプレイヤーたちは、アメリカのストリートボールシーンへ、また、bjリーグの舞台へ、更には、クラブチームの一員として日本最高峰の大会である全日本総合選手権のコートにも登� ��しています。既成のシステムに縛られずに、彼らの自由な意志で自分自身に磨きをかけ続けているこうした若者の姿を、日本協会のお歴々にこそ、見ていただきたいような気がします。ひょっとしたら、そうしたプロリーグの舞台から、3on3日本代表チームが結成されて、ユースオリンピックなどの世界の舞台へ出て行くことになるかもしれません。単に、バスケットボールというだけの捉え方ではなく、3on3独特のテクニックや戦術、パフォーマンスを熟知している彼らだからこその"ジャパニーズ3on3スタイル"を見せてくれるのではないかと、密かに期待しています。 アメリカでは、ダウンタウンの公園の中やスラム街にもバスケットボールコートがあり、そこはバスケットボールで凌ぎを削りあう若者たちの戦いの舞台でもあります。そして、そうした全米各地の無数のコートから"ストリートレジェンド"が生まれてきます。無数のゲームの中で磨きをかけてきた技や能力が、勝ち続ける力を与え、やがてその名声は、街の"レジェンド"として全米に鳴り響いていくのです。アメリカで人気の「AND1 MIXTAPE TOUR」は、こうしたレジェンドたちの結晶であると聞きます。まさに、ストリートポーラーたちの夢の舞台なのでしょう。 アメリカでウインターシーズンのスポーツとして誕生したバスケットボールは、カレッジやハイスクールでは、10月から3月と、明確にそのシーズンが決められており、シーズンオフにチームでトレーニングすることが禁止されています。そうした背景もあり、シーズンオフには、他のスポーツに取り組むマルチアスリートがアメリカには登場してくるわけですが、バスケットボールフリークたちは、シーズンオフにもプレーしたい。そこで、ストリートで自由にプレーできる環境に飛び込んでいくのです。つまり、単にスピンアウトしたようにイメージは大きな間違いで、そこからは数多くのNBAプレイヤーも誕生しています。自由であるからこそ、個人としての技を磨けるチャンスでもあり、あのスラムダンクアーティスト、Dr� ��Jことジュリアス・アービンもストリートレジェンドの一人であった、と記憶しています。 ちなみに、ストリートボールとは、昔の記憶ですが、アディダスがストリートバスケットボール用のシューズを発売した際に、商品名として使用していたように思います。いまでは、正規のバスケットボールと区別してその言葉が使われているようにも思いますが、そのストリートボールは、3on3にのみイメージが固定されていますが、特に3on3でなければならない、ということではありません。アメリカのプレイグラウンドのように、5on5でも、3on3でも、時には1on1での戦いも繰り広げられます。3on3というのは、練習のプログラムでも用いられるように、バスケットボールというスポーツ競技の戦術やプレースタイルを最も表しやすいものなのでしょう。もちろんお手軽ですし・・・。
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なぜモントリオールはパリよりもはるかに寒いです。
2009年02月01日
「JBL + bjリーグ = ???」その4 ~一枚岩となるための意志と戦略
12月17日に、JBLとbjリーグの関係者が初めて同じテーブルにつき、第1回の「トップリーグのあり方検討委員会」が開催されました。しかし、この委員会の開催を受けて、産経新聞や朝日新聞に掲載された記事を見る限り、双方の主張の論点は、それぞれのリーグの利益代表的な発言しかなく、座長である日本バスケットボール副会長がお互いの歩み寄りを促す場面もあった、ということで、何か委員会の本旨をご理解されていない様子が見て取れました。"共存への一歩"という見出しもありましたが、一部には、いまだに"分裂"という言葉が踊るほど、何のための検討委員会なのか、ファンとしては歯痒く思うばかりです。 前々回、「新リーグ設立を前提として、両リーグとも発展解消の道しか有り得ない」、という意見を述べましたが、私自身としては、それが両リーグに所属する各プロ球団や企業チームにとって、確実に選択肢の一つとなる、と思っています。元々、興行利益を前提として球団経営をしていかなければならないプロ球団と、一切の運営に関る財源の心配が無用である企業チームとは、本来ひとつのミッション、ひとつのビジョンに向かって前進していくべきリーグの中にあって、ほぼ絶望的に相容れないものがあると思うのです。bjリーグの選手たちの報酬と、JBLの選手たちの報酬の額を比較しても一目瞭然でしょう。ある人に言わせると、レベルが高い分だけJBLの選手たちは高い報酬を得ている、ということでしたが、bjリ� ��グの選手は、その力量が低いから報酬額も少ないのか、ということになり、本末転倒もはなはだしい考えだと思います。サラリーキャップ以前に、ほとんどのbj球団は、2億円にも達しないような経営を強いられている、とも言われていますし、親会社や球団スポンサーが億単位の支援をしているとしても、それはほんのごく一握りでしょう。そんな経営規模の中で、どんなにレベルが高い選手が入団したとしても、払えないものは払えません。事実、ロースターの数が10名しかいない球団も多いのです。 もし、両リーグを発展解消し、新リーグを創設して、一本化されるとしたら、何が大きな障壁となるでしょうか?。私が個人的に考えるのは、両リーグの各球団やチームに関与している多くのステークホルダーに対する責任でしょう。これまでの応援に対して十分に報いる前向きなプランであるのかどうか、金銭的なリスクはあるのかどうか、そして、球団あるいはチームとして、本当に選択すべき最良のプランであるのかどうか、などなど・・・。特に、bjリーグの各球団に出資している株主や会員は、絶対に無視することはできません。バスケットボールというスポーツを生業とした企業でもあるのですから、発展解消、そして新リーグへの参加が、本当に最良な選択肢であるのかどうかの説明責任は、非常に重いものになります。 次に、新リーグは、当然プロリーグでなくてはなりませんから、プロリーグとしての組織、財源、法的整備、そして経営環境作りを、言葉通り、プロとして具体化できなければなりません。リーグとしてのプロパティ管理の手法、そしてその手法に沿った収益の再配分構造、そして統一労働協約やリーグ規約などの法務的管理、更には、選手の育成や強化といった各球団に課せられる日本代表に繋がる一貫した体制作り、などなど・・・。これらは、bjリーグ、JBL双方が築いてきたノウハウを共有し、またより充実させていけば良いと考えます。もし、その場面で、先の検討委員会のようなやり取りが再現されるようなら、新リーグなどと夢を語らずに、お互いが独自の道を歩んだ方が幸せかもしれません。過去の利益に捉われない� ��とが、成功への第一歩だと思います。 時期については、性急な判断は避けるべき、だと思う一方で、ある一定期間の準備を終えた時点で、一気に進めていくスピード感が必要になるかもしれません。ただし、現状の経済環境を鑑みると、消費税の導入論議ではありませんが、早くても5年くらいの調整期間は必要であるように思います。つまり、2013年開幕です。あくまでも最速、としてですが・・・。その5年の間に、ロンドン五輪があり、日本代表の強化体制も安定しているとも考えたいですし、また、両リーグの公のコート上での交流の機会も、この時間的なスパンの中であれば、何かしら実現されていくのではないでしょうか?。ファンの人たちにも、当然選手たちにも、ひとつのリーグとして生まれ変わる期待感を醸成していくためのリーディングタイムとして� ��5年の歳月は濃密な時間にならなければ意味がありません。更に、オリンピック出場という命題を実現するための、最も重要な時期であることも忘れてはなりません。(2016年をひとつの現実的なターゲットとするならば・・・) プロ球団と企業スポーツという垣根の問題については、プロリーグの下部組織としてアマチュアリーグとしての位置付けで、新しい枠組みのリーグを設置するのも一案です。ヨーロッパ各国のサッカーリーグのような、草の根まで広がるリーグ組織です。そこには、企業チーム、総合型地域スポーツクラブのチーム、そして民間のクラブチームなど、あくまでも"アマ"としての存在で、活動の輪を広げていく役割を担うようになれば、プロリーグを頂点としたピラミッド組織の中でのリーグ構築が実現できます。地域毎のリーグは、高校チームやプロ球団のアンダーエイジチームが参加するものでも良いでしょう。そして、その運営は、地域の協会が担うなど、日本バスケットボール協会全体の組織機能も、リーグ運営に十分生かしてい� ��ると思います。 夢のようなことばかり書いてしまいましたが、個人的には、それほど場違いな考えでもないような気もしています。とにかく、世界を目指す環境の中で、世界を狙える力をつけて、真のプレーだけで多くのファンを満足させるバスケットボールが日本で見たいのです。そして、その頂点への道が、日本の何処にでもある環境が作りたいのです。
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2009年01月31日
「JBL + bjリーグ = ???」その3 ~"トップレベル・スポーツクラブ"って何?
日本国内の9つのスポーツリーグによる日本トップリーグ連携機構(JTL)という組織があります。2005年5月24日に、日本における団体ボール競技、8競技9リーグのトップリーグが連携し、互いのリーグの強化活動の充実並びに運営の活性化を図っていくことを目的に設立された組織です(JTLホームページより)。2006年からは、事業推進委員会を発足させ、重点事業として「国際競技力向上」、「リーグ活性化」、「総合型地域スポーツクラブ支援」、「選手キャリア支援」、「toto販売支援」の5本柱を掲げ、9つのリーグ共通の課題解決や新しい施策の策定を推し進めています。ファンの目から見ると、個々のリーグの存在しか表には見えませんので、このJTLの存在はあまりクローズアップされること� ��ありませんが、このJTLが、国際舞台での競争力を高めるための施策として、それぞれのスポーツ競技におけるトップアスリートの活動基盤であるクラブ組織の経営にもメスを入れ始めました。 大学やスポーツ団体、更には各分野の専門家など、10名の有識者と2名のスタッフで構成される「トップアスリート活動基盤整備事業」プロジェクトと銘打たれた組織は、トップアスリートの活動基盤であるチームやクラブを"トップレベル・スポーツクラブ"と呼び、それらチームやクラブ組織の経営安定という側面から、対象とする9リーグに所属するチームやクラブに対して、アドバイスや情報提供を行っていく、というものです。対象となっているチームやクラブは、7つのリーグから10のチームやクラブが選ばれており、中には、女子バスケットボールのJOMOサンフラワーズなどの日本のトップクラスのチームも含まれています。大半は、企業チームからクラブチームへと発展解消し生まれ変わったクラブが多いようで� ��が、男子ホッケークラブの名古屋フラーテルのように、NPO法人格を取得し、総合型地域スポーツクラブとして活動しているクラブもあります。新興のクラブ組織もありますが、企業チームから、その存続を模索してクラブ組織として生まれ変わって活動しているケースが多いようです。 経済不況の影響により、幾多の名門スポーツチームが、その歴史にピリオドを打ってきた悲しい歴史は、いま、再び繰り返されようとしています。過去にも、特に1998年から2002年までの5年間には、220もの企業チームが廃部または休部に追い込まれました。アイスホッケーの西武、アメリカンフットボールのオンワードなどの完全な廃部や休部以外にも、予算の削減や規模の縮小などを含めると、かなりの数の企業チームが、世界的経済不況の影響にさらされています。そして、今後ますますその影響は強くなっていく可能性が高いものと見られています。西武やオンワードなどは、新たな支援先や受け皿となる企業を模索しているようですが、廃部や休部に追い込まれた企業チームの中には、やはり、クラブ組織として独� ��の運営による生き残りを模索するケースも出てくるでしょう。また、先の名古屋フラーテルのように、総合型地域スポーツクラブとしての存続形態を見出す場合もあるでしょうし、既存の総合型地域スポーツクラブとの連携や協働を模索するケースも出てくるかもしれません。組織はあっても、指導者や指導するノウハウがない総合型地域スポーツクラブもまだまだあるようなので、さまざまなスポーツの活動環境を作ることが理想であるそうしたクラブ形態での生き残りは、ある意味で良い選択肢かもしれません。ただし、大きな課題も立ちはだかります。活動財源の確保です。企業から給与、または報酬を貰える企業スポーツという環境の中では、全くと言っていいほど障害になっていなかったものが、いまや、単なる努力だけでは� �決できない課題が、そこにはあるのです。 「トップアスリート活動基盤整備事業」プロジェクトは、そうした環境にあるクラブや、やがてそうした課題を抱える可能性のあるクラブなどにとっては、有意義なものであるに違いありませんし、そのプロジェクトの目指す方針も理解できます。しかし、どんなに地域と密着して、地域のための活動を通して支援者が増えたとしても、結局のところ、それだけで選手たちが食べていけるだけの財源を確保で来ている状況にはないのです。プロだろうが、アマチュアだろうが、リーグの中での試合を通して得られる入場料収入や、試合の価値を基盤として得られるスポンサーからの協賛金など、リーグも球団もプロとして活動しているbjリーグですら、大半の球団は満足に得られている状態にまでなっていない、と聞きます。スポーツの� ��及という側面では、クラブ組織の拡大は非常に有意義です。しかし、経営のためにスクールやセミナーなどの事業展開に時間を費やさなければならない環境の中で、"トップアスリート・スポーツクラブ"としての真意は生まれてくるのかどうか、私は個人的に疑問です。もちろん、リーグとしての収益構造を確立しなければ、どんなに個々クラブが一生懸命やっても、具体的な財源は生まれません。 JBLやbjリーグの話題とは離れてしまったようですが、実は、この2つのリーグの在り方を模索して行く上でも、これからの時代のスポーツの底辺を支えるだろうスポーツクラブの存在のあり方を考えることは、重要だと考えています。新しいプロリーグを創設しても、企業チームやクラブチームの形態で存続していこうとする組織もあるかもしれませんし、それら組織の受け皿を、下部組織としてキチンと整備することも、重要な命題になるからです。そして、その下部組織の経営を支える具体的な施策も、理想論を横に置いておいたところで、キチンと論議されなければなりません。そこから、学校の部活動を基盤とした育成から、クラブを基盤とした育成への変革が生まれるのです。 Jリーグやbjリーグのように、毎年のように全国各地に新しいクラブが誕生しています。地域に根ざして、地域に愛されるクラブになろう。しかし、普及だけやっていても強くはなれません。普及だけ進んでも、それだけで食べてはいけません。クラブ経営の前に、リーグの経営システムを整備、構築することの方が、先決であるように感じます。
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2009年01月30日
「JBL + bjリーグ = ???」その2 ~連携、統合、共存・・・???
オリンピックに出場すること。それは、単なるひとつの目的ではなく、大きな命題です。特に、オリンピックから遠ざかっている男子バスケットボールにとっては、広い意味では将来的な普及という側面でも大きな意味を持ちます。オリンピックに出ることが決してすべてではありません。しかし、スポーツを取り巻く日本の社会の中で、メディアからの支持や支援、そしてメディアを通じて認知され、人気が生まれていくというスポーツの実例を見るまでもなく、現状のファンや競技者の規模を維持していくだけの施策では、維持していくことすらままならないでしょう。情報技術の発達によるメディアの力や、プロスポーツの登場によるファンの存在の大きさがクローズアップされる中で、オリンピックという世界が認める大き� �舞台に立つ意義は、ビジネスという側面も踏まえて、ますます大きなものになっていくようにも感じます。オリンピックに出場することによる波及的効果、それがスポーツ競技団体としてのマーケティング力の指針にもなり、社会的な認知や人気を得るためのバロメータにもなるのです。 12月17日、日本バスケットボール協会は、長い混乱の一因ともなっていたJBLとbjリーグの分裂状態を打開するための検討委員会を立ち上げました。「トップリーグのあり方検討委員会」。両リーグの代表や有識者などで構成されたこの委員会は、新聞報道などによると、まだ、論点を整理する、という意味合いの組織であるようでもあります。もちろん、直ぐに連携や統合などという具体策を期待する人はいないでしょうから、お互いに最も適切とするところの"あり方"を見出していく、ということなのでしょう。しかし、委員会の様子を伝える報道には、お互いのリーグの利益ばかりを優先するような意見もあり、両リーグのねじれ具合は、たった4年という時間の経過でありながら、かなり深刻なものになっているように� ��み取りました。事実、単なるリーグ同士の共存とか、連携とかいうこと以前に、日本のスポーツ界独特の企業スポーツを前提としたJBLと、完全プロ化しているbjリーグとの間には、リーグ組織はもちろんのこと、各所属チーム(球団)の経営という論点が大きく立ちはだかります。単に、バスケットボールというスポーツで、どっちか強いか、どっちが優れているか、などという低次元の話ではありません。JBLの大半のチームは企業チームであり、球団としての経営という課題はありません。しかし、bjリーグのすべての球団は、金銭面での収入がなくては経営を維持していけない存在です。親会社が宣伝目的で多額の補助をしていたとしても、それも日本的なプロ球団のあり方ですから、金銭面での収入であることに違い� �ないのです。プロ球団と企業チーム。この両者を、どのように連携させるのか、共存させていくのか、はたまた統合できるのか???。「トップリーグのあり方検討委員会」の導き出す結論がどのようなものになるかは、前回述べた日本代表の強化という命題にもかかわる問題ですから、非常に大きな責任を負っているといえるでしょう。 先の全日本総合バスケットボール選手権のテレビ中継の際に、日本協会男子強化部長の倉石氏は、フリップボードを使って、日本バスケットボールの将来像についてお話ししていました。この話しの中で、倉石氏は、リーグとしての存在を、現状の2つのリーグの統合でもない、共存でもない、全く新しいプロリーグの創設によって表現していました。恐らく、現状の2つのリーグを一旦発展解消し、その直後に全く新しいプロリーグ組織を立ち上げる。そしてそのリーグに、現状の2つのリーグからの参加を呼びかけていく、というものだと思います。 あくまでも私個人の考えですが、元々こうした考えには賛成、というよりは、この手法しか有り得ない、という考えでした。ルールの違い、チームや球団の経営形態の違い、そもそもリーグそのものの法的根拠(任意団体と民法組合)が異なる中での存在ですから、どっちがどっち、という話では解決の糸口すら見出せません。何やら、朝のニュースワイド番組で取り上げられている独立行政法人の統廃合のようですが、やはり、お互いの利益を守るためにも、一旦はお互いの利益を捨て去る覚悟が必要であるように思います。ギリギリの運営予算の中で必死にやっているbjリーグの各球団にとっては、「いまさら・・・」という声も聞こえてきそうです。しかし、そもそもbjリーグは、日本協会傘下という立場に縛られずに独自にや� ��ていく道を取ることを決意して創設された存在であったはずです。旧JBLが、完全なプロ化を推し進められなかったことによる結果であったことも確かですが、独自の道を歩む決意をしたbjリーグ自体が、この在り方検討委員会に参加しているということは、何らかの意図で共存の道を模索している、とも捉えられることでもあり、完全なる新リーグへの発展解消というプランは、全くの夢物語にはならないようにも思えます。あくまでもひとつの選択肢にすぎないことではあるでしょうが・・・。 2月には、国際バスケットボール連盟、FIBAのエルフィンストン会長が来日する予定、と共同通信が伝えていました。1月に強化合宿のために日本協会幹部が、エルフィンストン会長の母国であるオーストラリアを訪れた際に、2つのリーグの統合を求める要請を受けたらしいのですが、この報道では、来日の際にも再度、同様の要請をする予定であることも明らかにしています。世界クラブ選手権の開催を模索しているFIBAにとっても、過去に、ユーロリーグを巡って苦汁を舐めた経緯があります。だからということではないでしょうが、世界を一枚岩にしていく使命を負う国際競技連盟の責務として、世界のほんの小さな島国のリーグにすら、危機感を覚えたのか、はたまたちょっとしたリップサービス的な発言に過ぎなかっ� ��のか・・・。本気なのであれば、FIBAをも巻き込んだ2つのリーグの分裂問題は、日本代表の強化という視点以上に、大きな課題としての捉え方をしなければならないでしょう。外国人が最も重視する信頼という課題に対して、さて、どう出るのか?。机上の論議だけでは済みません。
posted by umekichihouse |05:38 | バスケットボール | コメント(1) | トラックバック(0)
何時間が0300 BSTです。
2009年01月29日
「JBL + bjリーグ = ???」その1 ~"GO FOR OLYMPIC !"
お正月恒例の全日本総合バスケットボール選手権大会、通称オールジャパン。今年は国立代々木競技場第一体育館を主会場として、男子はアイシンの連覇、女子はJOMOが5年ぶりの優勝を飾って幕を閉じました。そして、その代々木第一体育館の3F観客席前方のフェンスには、いままで見たことのないメッセージバナーが掲出されていました。"GO FOR OLYMPIC ! オリンピック出場へのひたむきな努力を"。選手やチームを応援するための横断幕に混じって掲出されていた、そのバナーに記載されていたメッセージは、1976年のモントリオール五輪以来、オリンピック出場を果たせないでいる男子にとって、まさに悲願以外の何ものでもなく、そのメッセージを一般のファンの前に堂々と掲出した日本バスケットボール協会、JBAの並々ならぬ決意表明であったとも感じられました。オバマ大統領就任に際しての新聞見出しに准えれば、まさに、"JBA TAKES CHARGE"ですね。 以前このブログでも書かせていただきましたが、オリンピックへの出場とは、競技人口や普及度などという数値以前に、スポーツ競技の世間一般の評価基準として、かなり重いものです。参加することに云々・・・、とか、4年に一度のスポーツの祭典、とか言われる表面的な形容ではなく、オリンピックへの出場を果たせないスポーツ競技団体にとっては、そのスポーツの普及という側面からも、オリンピックへの出場を勝ち取ることは、すべてに勝る命題なのです。それは、オリンピック期間中のみならず、普段のメディア報道の取り扱い方にも露骨に表れます。世界で戦う力の証明、その最も象徴的な指標が、オリンピックへの出場ということなのです。 全日本総合バスケットボール選手権の男子決勝のテレビ中継の中で、NHKのアナウンサーと中継解説を務めていた日本バスケットボール協会男子強化部長である倉石氏は、北京五輪でのテレビ中継現場での様子を振り返って、「あの場に日本がいないことは本当に残念であり、寂しかった」、とコメントしていました。"GO FOR OLYMPIC !"のバナーを前にしたその言葉のニュアンスは、いかにも印象的に聞こえたのは私だけでしょうか?。そして、その倉石氏を交えて、去る21日、日本バスケットボール協会は、平成21年度の男女強化計画の方針を発表しました。記者会見という形式でこの時期に発表するのも異例なことだと思いますが、北京五輪の予選であった2007年のアジア選手権以降、特に男子は、1度もフル代表の招集機会はなく、約1年半もの間、全く日本代表の有志を見る機会がないままに過ぎていた中での、突然の記者会見の開催は、先の"GO FOR OLYMPIC !"というメッセージを、単なるお題目に終わらせない、という、まさに決意表明だったのかもしれません。 女子のU-18でのアジア制覇などと比べて、アンダーエイジ世代でもなかなか結果を残せていない男子は、ジェリコ・パブリセビッチ監督に率いられて2006年世界選手権に向けて強化を進めていた当時にも課題とされていた、世代を超えた一貫した強化システムの具体化に着手するようです。男子日本代表監督には、アメリカから、長年大学バスケット界で手腕を振るってきたデビット・ホッブス氏を招聘。単なるチーム強化ということだけではなく、選手個々の能力そのものから強化の対象とし、育成という視点にも重きを置いたプランが練られていくようです。更に、代表のカテゴリーも、世界の舞台を目指す集団としての形を明確にするため、国際バスケットボール連盟による世界大会基準の世代カテゴリーに再編成し、U-1� �、そして新設のU-16というアンダーエイジチームを、トップチームとなる日本代表の下に位置づけて、中学生世代からの一貫強化を目指すようです。特徴的なのは、過去にヤングメンと呼ばれていたU-21世代や、ユニバーシアード代表などの大学生世代のカテゴリーを設けず、日本代表の、謂わば"Bチーム"としての位置付けを取っていることでしょう。世界での潮流は、20歳前後の世代は、既にプロ選手として世界の舞台の一線で活躍する世代になっており、この辺でも世界基準に対応した競争力を養おうとする意図が感じられます。そして、"JBA強化指定選手"のような選手「個」の強化を明確に謳った新しい強化計画には、とにもかくにも世界の舞台に立つためのレールを敷いていこうとする強い意志も汲み取れます� ��まさに、"GO FOR OLYMPIC !"を具体化するための施策なのでしょう。 しかし、選手「個」の強化や、アンダーエイジ世代を含めた一貫強化の体制を、単なる絵空事ではなく、より実践的に進めていくためには、選手が所属する学校、企業、球団というさまざまな組織との連携こそがカギになるように思います。日本の教育システムや、部活動における勝利至上主義のような環境の中にあって、強い日本を作るという意図が、どこまで末端まで浸透して、その協力体制が作られるかが、日本バスケットボール協会に課せられた大きな課題とも言えるのではないでしょうか?。それは、普及という視点よりも、育成や強化といういくつかの犠牲を強いることにもなるスポーツ独特のプログラムに起因します。日常的に活動している所属組織の立場と、日本代表という立場との整合性、スケジュールのとり方、国際� ��カレンダーと日本的カレンダーとの不具合、などなど・・・。どのスポーツにも見られるように、日本代表の強化にまつわるこうした課題は、選手個々の所属組織との連携なくして成り立ちません。こうした面から考えると、日本のバスケットボール界に存在する2つのリーグの行く末は、非常に重要なテーマとなってきます。しかし、経済的利益の追求や、球団経営という実情、そして企業チームとしての在り方など、プロ化して15年以上の歳月を経ているサッカーの場合と大きく異なり、バスケットボールには、単なる机上のプランや戦略だけでは片付けられない、まさに水と油の思惑がさまざまに存在しています。 リーグの発展こそが代表を強くしていく、という理想には程遠い、難解な課題が2つのリーグの実情でもあります。
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2009年01月12日
「高校バスケットの"冬の選手権"、ウインターカップの魅力」その3 ~全試合テレビ中継の成果
今年はいよいよ第40回大会となるウインターカップ、全国高等学校選抜優勝大会。昨年は、ついに、全96試合のすべてがテレビ中継されました。放送したのは、J SPORTS。CS放送のスポーツ専門チャンネルです。同時に4試合が同時に行われる大会のテレビ中継を、地上波が行うことは物理的に無理です。録画を駆使しても、他の番組のほとんどを潰してしまうことになり、常識的に無茶な発想にしかなりません。4チャンネルを抱えるJ SPORTSだからこその強みですね。40回の節目の大会からは、いよいよ全試合生中継になるのかどうか・・・?。興味深々です。 昨年末の第39回大会での全試合中継は、大会にとっても初の試みであり、テレビ局が大会の共催者としても深く関わっている高校サッカーや春高バレーとは異なり、全くニュートラルな形でテレビ中継を取り入れているウインターカップにとって、これほどのテレビ中継体制を迎え入れることは、大きな冒険を伴っていたと思います。特に、メインアリーナの広さは素晴らしいものがある東京体育館も、運営エリアとなるバックヤードの諸施設や運営動線構成は、お世辞にも万全といえるものではありません。メインエントランスからアリーナレベルである地下1階レベルへの動線は、たった4ヶ所の階段に限定され(小さなエレベータはありますが・・・)、しかも通路幅が狭く、とてもアリーナ面の広さほどの規模に対応した構造に� ��なっていません。テレビ放送に対応した既存の回線設備やケーブル埋設設備もなく、アリーナ周辺はたくさんのケーブルが這いまくるセッティングにならざるを得ません。そんな中で、2002年日韓ワールドカップの時に、日本と韓国の中では唯一国際映像製作チームに参加し、日本で唯一の大型トレーラー型中継車を保有するなど、スポーツ中継制作においては日本でもトップクラスの技術を持つテレテック社が、今回の全試合中継の協力パートナーとなっていました。4試合を同時中継していくわけですから、本来なら、中継車が少なくとも4台は必要となり、それだけで東京体育館の適切な場所とされる中継車スペースは入りきらない規模になってしまいます。場合によっては、中継車を会場周辺に分散配置しなければならなく� �る危惧もあったらしいと聞きました。しかし、テレテックの中継車の性能の高さにより、1台の中継車で2試合分の制作をこなすことが可能となり、結果的には問題なく中継車の配置ができたようです。 さて、今回のテレビ中継の成果なのですが、1回戦から中継を見ていた限り、想像以上に素晴らしい出来だったと個人的には思いました。フジテレビが中継している春高バレーの場合、バレーボールはコートの縦方向からの映像駆使しやすいため、映像にさまざまな角度から変化をつけられ、3面のコートが並ぶ条件においても、比較的見やすい映像を見ることが出来ます。コートのサイズが小さく、ベースカメラというコート中央方向に設置されたメインカメラがあまり左右に振れることなく安定しているからかもしれません。しかし、バスケットボールの場合、バレーボールの横18mに対して28mのコートサイズがあるため、しかも、時には数秒単位で攻守が交代するトランディッションが激しいスポーツなので、3面のコートが� ��ぶ状態でのベースカメラの設置場所は、非常にコートに近い位置にならざるを得ません。従って、コートを見下ろすように角度で撮影しなければならず、バスケットボールの魅力である攻守の切り替えが激しければ激しいほど、カメラを左右に振らなければならず、見ている側として、落ち着いて見れるように映像が作れるのかどうか課題を感じていました。ワイドショットにした場合、コートの端から端まですっぽり画面に入るような位置にメインのベースカメラが設置できる高さと距離が最も適切なものだと思いますが、3面体制では、しかもカメラの設置位置が限られている体育館の構造の中では、なかなか理想通りにはいきません。結果としては、クローズアップ用のカメラが狙う選手やプレーシーンのクローズアップ映像と、� �ースカメラが狙うゲームの流れの映像とのスイッチングのタイミングが絶妙で、ベースカメラの欠点を全く感じさせないものになっていました。3面ですから、どうしても他のコートの様子が画面の上下に映りこんでしまいますが、それは大会の大きさを感じさせる効果として、違和感なく見ることが出来たと思います。カメラワークも、設置位置の欠点があるため、従来よりもプレーシーン毎に左右に振らなければならず、そのスピードにも気を使っていたと思いますし、タイムアウト時などはベンチの様子もアップで捉えなければならず、1コートにたった2台のカメラで対応していたとは思えない映像の見やすさだった気がしています。 また、1面となった最後の3日間は、一昨年と同様の体制かと思っていたのですが、今回からは新たにロースラッシュとハイスラッシュの位置にカメラが追加され、コートを対角線に狙う新たな位置からの映像が加わりました。NBAの日本での公式戦の際には必ず設置されるカメラですが、ゴールに向かってくる攻撃側のスピード感やパス回しなどが臨場感持って見ることが出来ます。高い位置と低い位置にそれぞれありますから、高さの攻防があるバスケットボールの面白さを映し出すにはもっとも適切なカメラ配置かもしれません。今回はそのNBAに匹敵する中継体制となっていました。FIBA方式と呼ばれるチームベンチの反対側を正面位置として撮影するパターンにも変更され、それに伴い、チームベンチなどを適切に映し� ��すためのリバースアングルカメラというチームベンチとは反対側の中央にも新たにカメラが設置されていました。このカメラからのクローズアップ映像も見ごたえ十分だったと思います。素晴らしい試合の連続でしたし、それを的確に映し出した新たなテレビ中継体制の素晴らしさに、ウインターカップがまだまだ大きく成長していく余白を残していることを、しみじみ感じ入りました。
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2009年01月11日
「高校バスケットの"冬の選手権"、ウインターカップの魅力」その2 ~興行という視点の是非
高校バスケットボールの1年を締めくくる大会、ウインターカップ、全国高等学校バスケットボール選抜優勝大会。毎年12月末に7日間の日程で開催されています。昨年末も、23日から29日まで熱戦を繰り広げ、男子は京都の洛南高校が、女子は愛知の桜花学園高校が優勝し幕を閉じました。東京体育館のスタンド席のキャパシティは約6,000席強。1面となる3日間はアリーナに仮設スタンド席が設けられ、全体で7,000席程度になります。関係者によると、有料入場者数は、約4万人。一昨年が4万2千人と言いますから、多少は下がりましたが、あの田臥選手を要して能代工業高校が連覇し続けていた時がそれまでの最高記録とされていて、4万2千人ですから、凄いものです。1日平均としてみても、5千7� �人。応援の人たちが入れ替わり入場することを考えても、会場のキャパシティに対して、全期間を通じてこれほど動員できるとすれば、大会の人気は確実に浸透していると言えます。 高校スポーツですから、あまり興行という視点で大会を見るのは邪道かもしれませんが、大会の運営経費を賄うために、入場料収入やスポンサー収入に依存しなければならない大会であることには変わりなく、その辺はスポーツビジネスという概念が、高校スポーツであったとしても、大会を成立させていくためには必要な時代になってきていることを、誰しもが認めているところだと思います。他の競技でも同じことが言えますが、全国高等学校体育連盟の規定にもあるように、出場校には規定された旅費が支給されるなど、それら経費の大きさは決して無視できるものではありません。東京体育館のようなアリーナ規模を持つ体育館を使用しなければならないのも、必然的に会場使用料や付帯経費の負担を大きくしています。当然のこ� ��ながら、入場料収入だけでそれらすべてをカバーすることは容易ではありません。結果として、高校スポーツの大会であっても、主催者は、さまざまに収入を拡大する施策に頭を悩ませています。 単に、儲けようとか、単純にビジネスだけを捉えた考えでそうしているわけではないと思います。問題なのは、その収益の循環先なのです。前回記述しましたとおり、私も、スポンサーの担当者として、またスポンサーを担当する広告代理店のスタッフとして、ウインターカップに数年の間関わってきましたが、大会の価値をより上げていくための努力に対して、余裕のある運営費は賄えていないのが実情だと感じました。もっとこうした方がいい、もっとこうすべきだ。理想を語れば切りがありませんが、フジテレビの事業として性格を持つバレーボールの高校選抜大会や、日本テレビ系列を中心として、全国の民放各社が協力する高校サッカー選手権などのメディアと大会の関わり方と比較すれば、ウインターカップはまだまだ手作り� ��運営を行わなければならない点が多いようです。 ウインターカップに関して、昨年からは、96試合全試合がテレビ中継されました。CS放送のスポーツ専門チャンネル、J SPORTSが、同社の4チャンネルをフル稼働して、1回戦からのテレビ中継が実現したのです。それまでは、制作面や技術的な問題、そして何よりも、費用の問題が大きく、夢はあってもなかなか実現にまで至っていませんでした。大会の事業を担う関係者たちは、1年も前から計画を練り、3月の春高バレーの中継体制を参考にするなど、緻密に計画を実現に移していったようです。観戦者の中には、ブログなどで、入場料金の値上げに付随して、テレビ放映権料も相当上がったのでは・・・、と書かれていた方もいたようですが、この大会に限らず、スポーツ中継、しかも同時に数試合の中継体制を組む、いうことは、単純な掛け算にはなりませんが、制作費用は何倍にも拡大します。また、元々が、高校スポーツの大会のテレビ� ��映権料なんか、たかが知れたものなのです。何千万円なんか、桁が違います。しかし、制作費は、本当に何千万円も掛かってしまいます。それもそこそこ高いレベルで・・・。更に、全試合テレビ中継を実現するために、昨年からは従来4面となっていたコート設定も3面となり、各コートにはカラーコートというシートが敷設されました。テレビ中継上、各コートを見やすく映し出すためです。サブアリーナには、それまでなかった観客席も設けられました。これも、テレビ中継のための措置という側面があり、これらすべては一昨年まで全く経費としてはなかったものです。CS放送のみとは言え、全試合のテレビ中継の実現は、凄いことです。甲子園での高校野球と違い、同時に4面のコートで試合が行われ、それぞれが個別に中� �制作されていくわけですから、フジテレビによる春高バレーを見るまでもなく、その規模は世界的な国際大会にも匹敵するものになります。(カメラ台数、中継車輌、スタッフ数、などなど)つまり、テレビ放映権料が上がるどころか、それに対応するためのコストの方がかなりの規模で必要になる、ということです。入場料金が値上げされましたが、値上げした分の大半は、こうしたテレビ放送の拡充により、東京体育館で応援できない人たちにも試合観戦の機会を提供できるようにするための施策として"循環使用"されている、というのが本当のところらしいです。 利益を生み出すことそのものよりも、イベント興行、特にこうした高校スポーツにおける興行の側面では、その利益がどのように大会全体のために"利益循環"されるのかを見極めることが大切なことだと思います。入場料が高くなっても観戦に訪れてくれた多くの人たちへの感謝の意を込める意味においても、目に見える形で、大会の価値がますます向上していく努力が主催者には求められていくのでしょう。満員の観衆で埋まれば埋まるほど、今度は観客に対するサービスという配慮も必要になります。もちろん、録画対応だったテレビ中継も、今度は生中継で全試合中継ができるように取り組んで欲しい。そして、出場する選手たちにも、より価値の高い舞台として感じるようにしてもらいたい。値上げした入場料に見合う大会にし� ��いくことこそ、主催者に求められる使命になるのです。
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気候は、タンザニアで発見されたもの
2009年01月10日
「高校バスケットの"冬の選手権"、ウインターカップの魅力」その1 ~創造されるタイトルの価値
高校スポーツは、公式には年間2つの全国大会が開催されます。全国高等学校体育連盟が主催するこの大会とは、全国高等学校総合体育大会、通称インターハイと呼ばれている総合競技大会における選手権大会と、ほとんどの競技が毎年3月に各地で開催している選抜大会です。インターハイでは、「全国高等学校総合体育大会(スポーツ競技名)競技大会」というのが正式で、各競技によって、「"兼"全国(スポーツ競技名)選手権」というようになっています。ただし、サッカーの場合、"選手権大会"は、毎年年末に開幕しお正月を挟んで東京近郊各地で開催されている全国高校サッカー選手権大会であり、この大会が名実供に高校サッカー最高峰の大会とされています。では、インターハイではどうかというと、他の競技� �は唯一異なり、単に全国高校総体サッカー競技大会となっているのです。他の競技種目のように、選手権大会という位置付けではありません。また、年間2つの全国大会の開催ということから、サッカーには、選抜大会はないのです。 では、インターハイ、つまり全国または全日本選手権(競技によって呼称が異なっているようです)と、選抜大会はどのように違うのか?。簡単に言えば、選抜大会は3月の春休み期間中に開催されているため、新2、3年生、つまり、その時点では1、2年生のみが参加する、言ってみれば新人大会の全国大会ということです。つまり、秋の国体以降、3年生が引退し、新チームになって最初の全国大会が、この選抜大会ということになります。選抜大会は、その名の通り、高校野球などと同様に、全都道府県からの出場が統一されているわけではなく、基本的には各ブロック地区からの推薦という形で出場権が与えられているのが一般的でしょう。つまり、一部の競技を除けば、インターハイでの全国選手権大会のように、全都道府県� ��らの出場はなく、自ずと出場校数は少なくなります。インターハイを目指す新チームのステップアップ大会のようなものなのでしょう。 しかし、バスケットボールとバレーボールは、さまざまな経緯から、選抜大会と言えども、インターハイでの全国選手権並みの規模に、その大会規模は拡大しています。まず、バレーボールの場合は、ご存知のように、フジテレビが全試合を中継放送し、フジサンケイグループが主催者にも名を連ねる、もはやフジテレビの事業としての性格を帯びており、大会が行われる3月下旬の1週間は、"春高バレー"色が満ち溢れます。しかも、かつては、この大会がゴールデンタイムで放送されていたこともあるのです。出場校も、全都府県代表校に加え、東京都は2校、大阪と神奈川は1校追加、北海道は南北地区で各1校づつの計2校が出場権が得られ、更に前回優勝校が加わった男女53校づつの計106校もの参加規模になっています� ��本来義務化されていない地方予選も、すべての都道府県で実施されており、1月から2月にかけて、インターハイ予選並みの大会が全国各地で繰り広げられているのです。バレーボールは、国際大会も毎年のように国際大会が日本で開催されていますが、高校の大会においても、テレビジョンパワーが、ここまで大会を大きくしているのですね。会場は、東京・原宿にある国立代々木競技場第一体育館。広いアリーナ内には、数多くのテレビカメラや放送施設が立ち並ぶ中で、バボちゃんが悠々と空中で揺れている姿が毎年見られます。 さて、本題のバスケットボールですが、大会名称は、全国高等学校バスケットボール選抜優勝大会。通称、ウインターカップと呼ばれています。何故"ウインターカップ"なのかということが、この大会のタイトルの価値を指し示す要因のひとつでもあります。 バスケットボールの選抜大会は、第1回大会が1971年、ミュンヘン五輪開催の前年3月に開催されています。出場校は、男女各16校。現在の丁度1/3でした。開催地である東京を含めた11地区からの代表です。出場校が増加したのは、第5回大会の1975年からです。男女各24校になりました。更に出場校が増えたのは、20回という節目を越えた1990年の第21回大会からです。男女各48校。つまり、この大会から、全都道府県からの出場となりました。ちなみに、開催地である東京からは、第5回大会から2校の出場(第15回大会のみ3校)となっています。実は、この2年前の1988年に、大きな転換期を迎えることになっていたのです。1988年は、2回の選抜大会が実施されています。3月には、従� ��のスケジュールであるものの、開催地は神戸。この年の夏にインターハイが開催される神戸市において、リハーサル大会の意味合いも兼ねての実施となったようです。 ではもう1回とは何なのか?・・・、というと、選抜大会の開催時期が12月末に移行した最初の大会だったのです。開催地時期を移行した最も大きな理由は、当時テレビ放送していたテレビ局の要望が強かった、という話もあります。3月末はテレビ局にとって期末といわれる特別番組編成の時期であり、なかなか中継番組を放送するための枠の確保が難しかったのです。そこで、比較的容易に枠の確保が可能である年末に大会を移動する案が浮上し、この数年前から、高体連、日本協会などの関係者が議論し、さまざまな課題をクリアしていったと聞きます。この時ご尽力された方は、私も仕事で非常にお世話になったバスケットボールに対する情熱溢れる方でしたが、いろいろとご苦労されたお話しも聞きました。高校スポーツは、� ��、冬、春という長期の休み期間にしか1週間という大会日程を確保できませんから、選択肢としては、冬休み期間中しかない。しかし、受験シーズン直前に、大会を開催しても、3年生は出場できても受験を犠牲にすることが高校スポーツとして相応しいことなのか?・・・、などなど、立ちはだかる課題は少なくなかったと言います。一方で、秋の国体以降、引退する3年生の中には、その後、大学や実業団でプレーすることが決まっている有力選手も数多くいました。しかし、秋以降、大会もなく、新チームに切り替わって練習もままならない環境の中で、迎え入れる大学や実業団からの改善を求める声もあったようです。12月に全国大会が開催されるということは、こうした面からは、有力選手たちにとって、大きなチャンスが� �まれたとも言えます。 当時テレビ中継していたのは、テレビ朝日。男女各決勝戦を、深夜に録画中継し、またニュースやダイジェスト番組なども時折放送していました。夢として語られていた全試合中継は、バレーボールのように実現には至らなかったようですが、ウインターカップという愛称も生まれ、大会の歴史と供に、大会のタイトルの意義というものが、まだまだ小さいものでしたが、膨らみつつある時代でした。ただし、バレーボールのように、都道府県単位での予選大会を一律で開催するまでには、まだまだ到底そこに至るものではなかったようです。 ウインターカップが、次に大きく変革し始めたのは、1998年、第29回大会です。この頃、1995年から大会3連覇を成し遂げ、4連覇を賭けて、第1回大会から唯一連続出場を成し遂げていた能代工業高校が、圧倒的な強さを見せていました。中でも、1年からレギュラーとして、同学年の若月選手や菊地選手とともに出場していた田臥選手の人気もうなぎ上りとなり、この大会期間中に、ついに初の入場制限という事態にもなりました。スポーツ新聞のみならず、全国紙にも連日写真入で大会の様子が報道され、テレビのニュースにも数多く取り上げられるまでになっていました。そして、この大会から、ウインターカップの名を付した新しい大会ロゴが生まれ、会場内の装飾も様変わりしていきました。スタッフの着用するウ� ��アもカラフルになり、大会最後の3日間に1面となる試合コートのゴール裏にもスタンド席が設置されるなど、見た目では、全国No.1を決する試合の舞台が仕上がりつつありました。大会に初めて公式ミュージックが導入されたのもこの大会からです。(現在は行っていません。)小さいことですが、関係者や選手などが携帯するADカードという首から提げている身分証も、初めてカラーで識別分類されたのもこの大会からです。 そして、この大会から、新たに大会スポンサーが加わりました。現在も協賛活動を続けているナイキジャパンとスポーツドリンクのゲータレードです。実は、当時、私はナイキジャパンでイベント業務の責任者をしていた関係で、まさにこの小さな変革の真っ只中にいました。前年に、大会の様子を見学させていただき、何よりも、選手たち、そしてチームの仕上がり具合に驚きました。バスケットボールを担当していた同僚に聞くと、この時には既にウインターカップは選手たちの間でもぜひ取りたいタイトルのひとつに数えられるようになっており、年間最後の大会となるウインターカップに標準を合わせて練習してきているチームが増えている、ということでした。中には、1、2年生中心のチームで臨む学校の少なくありませんで� ��たが、12月開催という3年生最後のチャンスとなる舞台であるこの大会の存在意義が、徐々に浸透してきているのを実感したものです。そして、「なんとかこの大会に協賛し、大会をもっと盛り上げていくことは出来ないか!・・・」と考え始めました。「この大会は大化けするかもしれない!!」。ダメモトで主催者に交渉を開始しました。「全国の高校生が、1年間最後のタイトルを賭けて目指す大会にしたい。そのためにぜひ協力したい」と・・・。当時、ナイキジャパンは、高校サッカー選手権も協賛し始めた頃で、"冬の選手権"と言われる高校サッカーの大会規模の凄さは十分に認識していましたし、開催時期も前後していた関係で、絶対にもっと注目される大会になることを実感できていました。当時の私の上司は、ア� �リカの有名大学のアクレティックディレクターも経験されたスポーツ界で名の知れた一人であり、この人の下で働きたかった、という人物で、こんなことを言ってくれました。「アメリカではカレッジスポーツがスポーツビジネスの底辺を支えている。日本ではハイスクールがそれに相当するんじゃないか?。チャンスかもしれない」。私は、主催者に、スポンサーとしての得られる権利を交渉すると同時に、一緒になって大会運営そのものの改善に協力していきました。凡そ、スポンサーとしての仕事を逸脱していたと思います。チケットをもっと買ってもらうために、窓口を増やしたり、告知ポスターやチラシのデザインまで口を出してしまいました。スポーツショップでのキャンペーンまでやってしまったのは、この時が初めてだっ たと思います。スポーツドリンクの協賛を実現させたのも、実は私でした。NBA公式戦の時以来お世話になっていた関係で、無理を聞いてもらいました。とにかく、多くの人に注目してもらいたかった、というのが本音です。ちなみに、この時ご尽力いただいた関係者の皆さんには、本当にご迷惑をおかけしてしまいました。ただ、少し熱意が伝わり、スポンサーという泥臭い存在だけではなく、協力者として我々を認めてくれたことに本当に感謝しています。 単に会場を飾り立てたり、見た目だけの豪華さを狙ったものではなく、出場選手が日本一を目指すに相応しい大会にする。それが選手たちの力を引き出し、観戦している人たちをひきつけ、大会の価値は高まっていくのだと思います。「あのコートに立ちたい」。全国のバスケットボールをやっている高校生の、ひとつの目標とする大会として、出場する選手たちにも、残念ながら出場できなかった選手たちにも、高校生活の中で一番価値ある大会にしたい。それは、現在も大会を運営している東京都高体連の先生方やその生徒さんたち、そしてスポンサー各社の皆さんも、持ち続けていらっしゃる気持ちだと思います。それらが一体となって、ウインターカップという大会のタイトルの価値が創造されていっているのだと思います。 大会のタイトルの価値とは、歴史の積み重ねで自然に生まれてくるものもあると思いますが、それを支えている人たちの泥臭い努力によって、創られることもあるのだと、この大会に関わって初めて知りました。
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2009年01月06日
スポーツの強化における"経営的ビジョン"の設計とは?
前回、少し暗い話題で再開させていただいたブログですが、年末に、このブログを見ていただいていたある大学のバスケットボール部の監督さんとお会いする機会がありました。いろいろな話題をお話したのですが、部を預かる監督さんですから、当然、チームの強化、選手の強化という話が中心になります。その中で、ひとつ気が付いたことがありました。スポーツの強化における"経営的なビジョン"とはなんだろう?・・・と。 サッカーは、ファンでも分かり易い強化の指針と目標とするゴールを、明確に打ち出しているように感じます。指導暦もスポーツの強化にも関わったことのない強化の素人である私にも、メディアを通じて語られる日本サッカー協会としての日本代表の活動に関わる指針や目標は、比較的分かり易いものだと思います。だから応援するファンは、代表監督にさえさまざまな意見を投げかけています。ブログを見ると一目瞭然で、批判もあれば期待を込めた論評もあり、何万という数のエントリーが、代表戦の翌日などには溢れていることに、ある意味で嫉妬を感じたりもします。事業系の立場でスポーツにかかわってきた私のような人間には、スポーツの強化の現場の考え方や方針が明確にある場合、その強化の過程における事業としての� ��ポートをどのようにすることが最適なのかを考え易く、確固たるモチベーションを持ちやすいことも確かです。何を目標として活動しているチームなのか、このチームは何をアピールしたいのか、何のための試合興行なのか、などなど・・・。 ただ儲けるだけであれば、単なるイベント屋さんとなんら変わりません。競技団体として、日本を代表するチームを編成し、強化し、世界と戦う場を設け、最終目標の場で勝利を得る。単純なことですが、この"ストーリー"が言葉で語られることがない限り、心から応援してくれるファンは得られないように思います。また、この"ストーリー"は、企業の経営計画と同じように、中期、長期と、綿密なプロセスが組み立てられ、そして最も重要な目標という設定を明確にすることで、初めて具体的な内容になります。単なる抽象論や実現性の低い理想論だけでは、何を応援していいのか、ファンですら雲を掴むような話になってしまいます。ブログを通じてだけでも、さまざまな意見が書き込まれているサッカーが、いまやメジャース� ��ーツとしてメディアからも認識されているその根底には、良いも悪いも、日本サッカー協会の打ち出す日本代表に対する明確なビジョンを持ち、適時その内容を発信していることが、大きく影響している気がしています。サッカーの場合、オリンピックよりも当然のことながらワールドカップの開催周期をタイムサイクルとして目標が設定されているようですが、2010年を目指すチームとはどんなチームなのか、そして代表監督の個性や独自性はどこにあるのか、などなど・・・、先頃帰国したオシムさんから岡田監督に代わった時のファンの注目もそこにあったと思います。しかし、1998年フランス・ワールドカップへの出場を果たしていなければ、ここまで明確な強化ビジョンを打ち出せてはいなかったでしょう。世界一流� �戦いの舞台で、世界と戦う現実感が、恐らく協会内部の人たちにも生まれてはいなかったと思うからです。開催国として2002年ワールドカップへの出場だけに留まっていたとしたら、世界とは単なる夢で終わってしまっていたかもしれない、と感じるからです。 バスケットボールを愛するひとりとして、2006年に日本で開催された男子バスケットボール世界選手権は、日本のバスケットボール界にとって、大きなチャンスであったと思います。さまざまな意味において、まさに千載一遇のチャンスであったはずです。しかし、現在、その痕跡は、私が感じるだけなのかもしれませんが、何もありません。もし、2006年をスプリングボードとして、例えば、2008年の北京五輪への出場、そして2012年のオリンピックへの出場という中期、長期での日本代表の"経営ビジョン"が描かれていたら、2009年はどのようなチャレンジをするべきか、そのためには誰が必要なのか、そして、結果を残すべき戦いの舞台は何処に設定すべきか、などなど・・・、ファンも分かり易い"ストー� ��ー"が、とっくの昔に語られていたはずです。2007年、アジア選手権が行われた徳島の試合会場の現場で見た男子バスケットボール日本代表の姿には、残念ながら、何も感じられませんでした。選手の責任でも、チームの責任でもないでしょう。"ストーリー"を描けなかったことによる目標の設定の気薄さが、選手やチームのモチベーションにも影響していたのだと思います。そのことに起因してか、現場で運営の一端に関らせていただいた末端のスタッフである私ですら、なかなかモチベーションが上がりませんでした。物理的な課題以前に、心理的にも、精神的にも、ホームコートアドバンテージを創ることは難しく、本当に歯がゆく思ったものです。 事業系の視点でスポーツの強化に期待することは、目標を明確に設定し、その目標に向かうためのプロセスを、しっかりと言葉で語ってほしい、ということです。何故いまこのチーム編成なのか?、このチームは何を最大の特徴としようとしているのか、このチームの強化のためには何が不足しているのか?、などなど・・・。単なる強化という言葉を語り、選手を集め、練習するだけで、ファンに伝わるのがどれだけあるのでしょうか?。具体性、現実性、そして実現性などの要素が、言葉で語られる限り、スポーツの強化には"ストーリー"が明確に語られるはずです。そこには、長い目で見た夢を感じることもあり、期待も膨らみます。例え結果が出なくとも、次に向けてのスプリングボードとして、新たな"ストーリー"が始まる� ��とを、知っているし、理解できているからです。ひとつひとつの結果ですべての起承転結が終わるような強化では、プロの経営ではなく、単なるその場凌ぎでしかありません。ファンはそんなことを期待してはいないでしょう。 2009年に何が始まるのか、2010年にはどうなるのか、そして2012年は?。"ストーリー"が語られるのを待ちます。
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2008年11月19日
男子バスケットボール日本代表に立ちはだかる東アジア・サブゾーン予選という壁
昨年夏に徳島市で行われた北京五輪への出場権を掛けた男子バスケットボールアジア選手権での惨敗から1年と4ヶ月。その間、ナショナルチームとしての男子バスケットボールのトップチーム、所謂フル代表は、一切の活動を停止しています。代表を招集して参加すべき大会がないこともありましたが、強化という点においても、その活動は全く行われていないのが現状です。しかし、日本バスケットボールリーグが開催されている期間中ということもありますが、代表を招集して参加すべき大会は、実はありました。10月9日-13日間、クウェートで行われた「FIBA ASIAスタンコビッチカップ」です。前FIBA事務総長であり、現在の名誉事務総長のMr. Borislav Stankovićにその大会の名は由来しています。1980年代からFIBAとNBAの協調を行い、マクドナルド選手権を創設するなど、国際バスケットボール連盟、FIBAに多大な功績を残してきたスタンコビッチ氏の栄誉を称える意味で創設された大会なのです。ただし、"スタンコビッチカップ"とは、正確には、"スタンコビッチ・コンチネンタル・チャンピオンズカップ"と2つの大会があります。ここで言及している"スタンコビッチカップ"は、FIBA ASIAの主催で行われる大会で、後者は、世界5つのゾーンの大陸チャンピオンなどが参加して行われるFIBA主催の世界大会です。ちなみに、FIBAスタンコビッチカップは、毎年、中国で開催されているようです。また、大会名称も、当初は前述のようなタイトルでしたが、現在は、「FIBA Borislav Stankovic Cup」となっているため、「FIBA ASIA Stankovic Cup」と間違えやすいのです。 さて、10月に行われた「第2回FIBA ASIAスタンコビッチカップ」ですが、この大会は、来年、中国で行われるアジア選手権への出場権を巡って、大きな意味を持つものだったのです。アジア選手権大会は、FIBA ASIAが統括するアジア地区5つのゾーンから、全16の国または地域の代表チームが参加して行われます。この大会での優勝国は、自動的にアジア選手権への出場権が与えられ、2位から5位の4ヶ国には、その国が所属するゾーンの出場枠が追加されます。つまり、スタンコビッチカップで上位5位以内に入ることは、アジア選手権予選として行われるサブゾーン予選での戦いを楽にする、ということなのです。例えば、日本が所属する東アジアゾーンの例を見ると、5つのゾーンに与えられている味う選手権への出場枠は、それぞれ2つですので、東アジアゾーンも2つは持っています。それに加えて、スタンコビッチカップで上位5位以内に入れば、その数分だけ出場枠は増やされますが、韓国もチャイニーズタイペイも出場し� ��いないため、ひとつも追加されません。よって、来年6月に予定されている東アジアサブゾーン予選では、2つの出場枠を巡り、韓国、チャイニーズタイペイと戦い、2位以内に入らないとアジア選手権の本戦に出場すらできない、ということになります。幸いなことに、アジア選手権本戦の開催国が中国であるため、中国は開催国としての出場権を確保していることで、2枠というところでは影響しません。ちなみに、アジア選手権への出場枠は、以下の通りです。 ◇開催国: 中国 ◇スタンコビッチカップ優勝国: ヨルダン ◇東アジアゾーン: 2 ◇東南アジアゾーン: 2 ◇中央アジアゾーン: 2+2=4 ◇西アジアゾーン: 2 ◇湾岸ゾーン: 2+2=4 計16 前回、徳島で行われたアジア選手権の際には、上記の出場条件とは異なり、そのまた前回のアジア選手権での優勝国、そして上位5カ国に、サブゾーン予選からの出場枠追加の割り当てが行われました。これは、2006年に開催予定であったスタンコビッチカップが、開催国シリアの国内情勢不安定の理由から中止されたためです。ちなみに、第1回、タイペイで行われたスタンコビッチカップには、日本チームも出場しており、5位に入っています。また、この大会では、韓国が2位、チャイニーズタイペイが3位になっており、日本を含めて3つの追加枠を確保できたため、既存の出場枠の2つを加えると5となり、サブゾーン予選を開催する必要がなくなったのです。つまり、こうした複雑な経緯が、今回のスタンコビッチカップ� ��の出場の意味合いを薄めた、とも言えるのかもしれません。 今回の第2回スタンコビッチカップは、出場したのは僅かに5カ国。つまり、出場すれば同時にサブゾーンの追加枠は確保できる状態だったのです。開催時期については、第1回開催の際にも論議された経緯があるようです。それを証明するかのように、韓国は、リーグ、学生、軍隊の混成チームだったようですし、フィリピンなどもリーグで活躍するプロ選手は一切参加しなかったということでした。ちなみに、優勝したヨルダン以下の順位は、2位クウェート、3位カザフスタン、4位インド、そして5位カタールです。 生まれ変わった気持ちで新たな船出を求めれる男子バスケットボール日本代表ですが、リーグが終わる来年の4月からたった2ヶ月で、早くも試練の場が待ち受けることになりました。負ければ終わりですが、韓国はもちろん、チャイニーズタイペイにも、昨年の徳島では敗退しています。決して余裕などはありません。ヘッドコーチすら決まっていない現状で、超高速スピードでのチーム構築を、ぜひお願いしたい気持ちで一杯です。
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2008年11月17日
JBL・リンク栃木ブレックス、加藤監督更迭騒動に思うこと
9日、日本バスケットボールリーグ、JBLに所属する今年加盟の新チーム、リンク栃木ブレックスは、突然、ヘッドコーチである加藤三彦氏の更迭を発表しました。また、11日には、直ぐに新体制を発表し、いすゞ自動車ギガキャッツやWJBLのJOMOサンフラワーズでアソシエイトヘッドコーチを務めていたトーマス・ウィスマン氏を、アソシエイトヘッドコーチに決定。暫くは、GMおよびアシスタントGMとの協業による体制を敷いていくことも発表されました。加藤氏は、アシスタントGMの要請を辞退し、同日付で契約解除による完全辞任という形になったということです。 JBLで2つ目のプロチームとして、期待を背に加藤氏が監督に就任したのは、今年3月。高校バスケットボール界の名門と言われる秋田県の能代工業高校を長年指導し、数多くの全国制覇を成し遂げてきた実績を引っさげて、日本のトップリーグの舞台へ乗り込んできました。加藤氏は、バスケットボールファンなら恐らくほとんどの人がその存在を知っているだろうと思うほどに、高校界の顔の一人でした。そして、いまや、ホームのみならず、アウェイでのゲームですらチケットを完売させるチームの牽引者で、かつての加藤氏の教え子でもある田臥選手にリンク栃木への入団を決意させたのも、加藤氏のヘッドコーチ就任がその一因となったようです。まさに、新プロチームの歴史に残るだろう逸話を作り、チームを始動し始めた� ��ンク栃木プレックスに、何が起こっていたのか?。 球団のGMである山谷氏は、コンサルティング業界から転進ですが、かつてアメリカンフットボール選手としての実績もあり、スポーツチームの経営に関しては、非常に高い知識と理論を持つ人だと私は思っています。その山谷氏と、何故か頭の中で、創設されたばかりのファーストシーズン終了直後に、監督を更迭したプロ野球・東北楽天ゴールデンイーグルスの三木谷オーナーの顔を並べて見ていました。当時の楽天には、田尾監督更迭に対するファンからの失望の声や無念の声が数多く浴びせられました。それも、続投宣言していた直ぐ後の更迭発表劇だったのです。当時の新聞報道を見ると、田尾監督と三木谷オーナーとのチーム補強に関する確執があったと書かれていましたが、実際はどうあれ、チーム内にコミュニケーション� ��不在だったことや、そのミスマッチがあったことは事実でしょう。スポーツチーム、特にプロ球団の経営には、経営の能力、経験、センスも当然必要です。しかし、スポーツというコンテンツで商売をしている限り、そこには感情的なものが必ず理論や理屈を支配することがあり、その点でのコミュニケーションの欠如は、チームをマイナスの方向に向かせるのだと思います。つまり、好き嫌い、阿吽の呼吸などと言った感情的なものが、組織を繋ぐための信頼関係をも崩してしまうケースです。この信頼関係がなくなったら、特にスポーツチームという組織では、統率を取ることは不可能だと思います。 11日にリンク栃木ブレックスによって発表された内容によれば、「チームづくりを進める中、チーム内のコミュニケーションにおける問題が少しずつ表面化し、改善については何度も加藤氏と話し合いを行ってきましたが、シーズンに入ってからその問題が修復困難な状況に陥ってしまいました。球団としては、戦績以上にチームの成長を標榜していたこともあり、前体制では長期的な視点でみてもチームをつくり上げていくことが難しいと判断し、球団の責任のもとチーム体制の変更という苦渋の決断を行いました。なおこの決定に際して戦績不振という理由は一切ございません」、ということです。まさに、信頼関係の崩壊がもたらした監督更迭劇だったのです。 加藤氏は、能代工業高校での監督時代、前加藤廣志監督が作り上げた全試合走り通す"平面バスケット"を、能代の伝統として守り続けてきました。圧倒的な破壊力を持つゾーンプレス・ディフェンスにしても、最後の一歩までボールを追い続ける執着心にしても、そしてボールをキャッチしてからの素早い速攻の連続にしても、すべて前加藤廣志監督が築いてきたスタイルです。だから、チームのメンバーが変わっても、能代のスタイルは残り、そこに、選手ありきの戦術がどれだけあったのか、ということを考えてしまいます。能代工業の走るバスケットの魅力は、バスケットボールファンなら誰でも知っていることだと思います。だから、能代の試合には大勢の観客が集まります。しかし、その伝統という名のスタイルの中で戦って� ��た加藤氏が、プロの世界で、選手の個性や能力に応じたチーム作りを求められた時、彼の苦悩は始まっていたようにも思えます。まさに、フリーハンドでのチーム作りですから、あらゆる選手の個性に応じた戦術が彼の引き出しの中に隠されていなければならなかった。新興チームだからこそ、そうした数多くのソフトの蓄積が必要だったと思います。その中でのジレンマが、選手とのコミュニケーション、球団内でのコミュニケーションなど、柔軟な対応や臨機応変というような意識の欠如をもたらし、恐らく、加藤氏は孤立してしまったのではないでしょうか?。 バスケットボールに関する知識も能力もない私が言うのは気が引けますが、このことは、高校バスケットボール界に学校という枠の中だけで選手を指導している育成環境が多い、という裏づけでもあり、そのことにより、指導者の能力が、新しいものを生み出すという想像力に欠けて硬直化してきている、ということも言える気がします。 今回の騒動でひとつ言えるのは、トーマス・ウィスマン氏を"アソシエイト"ヘッドコーチとしたことで、来季に向けての繋ぎ役という位置づけを明確にしたことへの評価です。"アソシエイト"とは、外資系企業でよく見られるタイトルですが、所謂"代理"ですね。代理は代理であって、正式ではありません。そこに、リンク栃木への来季に向けた期待を残しているように思えます。また、チーム内の事情についても真摯に発表していたことも高く評価できると思います。チームの羞じのような部分でも、理解を得ることを優先していますよね。とにかく、頑張れ!リンク栃木!!。
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2008年11月12日
「欧州の現状、そして日本バスケットボールの行く末」その8 ~プロ化の必然性
ユーロリーグを検証してくると、そこには育成や強化という視点だけではなく、やはり、興行という本来のプロチームとしての本分があることは間違いありません。興行価値が高いからこそ、ヨーロッパ各国の326クラブは凌ぎを削ってユーロリーグを目指すわけで、そこでのステイタスは、更にファンを呼び込み、収入を増やしていくというビジネス構図を具体化していきます。つまり、"プロ"という現実的な必然性がそこにあります。興行価値が高まれば優秀な選手が集結し、更に競争力が高まり、またまた興行価値を押し上げていく。この構図は、ひとりの選手のプロ化云々を取り上げている日本との次元の差を示すものです。経営という視点からは始まって、育成や強化というところに結び付けていくためにも、プロチ� �ムは必要な存在になっていのだと考えます。 企業チームに支えられてきた日本のスポーツ界のトップの現状は、少しづつ変わりつつありますが、まだそれはごく一部に過ぎません。企業の中のスポーツチームから、企業が運営する、またはスポンサーとして支援するスポーツチームとなる。つまりはプロチームが、独自の経営手腕を持ち、独自の収益力を持ってスポーツを支えていく環境が整うことが、もちろん、究極の目標ではあります。しかし、経営という視点で、Jリーグでさえまだまだ全体的には数多くの課題を抱えています。15年、しかしまだ15年ということなのかもしれません。bjリーグが生まれ、私個人的な意見としては、その存在は日本のバスケットボールの在り方に一石を投じたことは間違いないと考えています。bjリーグの在り方や内容のすべてに賛同� ��ているわけではありませんが、少なくとも、プロリーグ、プロチームを作る必要性については共感しています。もちろん、リーグ、そしてチームの経営という点では改善の余地はまだまだあることも、ファンですら理解しているのだと思います。そして、リーグ全体が拡大し続けている姿に期待するのではなく、如何に持続し、個々のチームの中身が大きくなることに、bjリーグの将来を見たいと考えています。つまり、地に足をつけた堅実性に期待しているのです。 Jリーグも、J1が18チーム、J2を22チームに拡大して、計40チームにする構想を目指していると聞きます。しかし、単なるリーグの規模の拡大をリーグ経営の目指す方向のひとつとして掲げていくのは、15年経過した今の時点ではどうなのか、という疑念は拭い切れません。もちろん、プロスポーツの経営も競争社会ですから、いつかは淘汰が始まります。経営を続けられなくなり倒産する球団が出てくることも必然となるかもしれません。40チームに対する分配金を拠出する義務を負っているリーグの収益力にも限界は来るでしょう。特に、J2の中で年間予算が5億円以下の球団は、リーグの分配金が大きなウェイトを占めている、という事実もあります。一方で、bjリーグは、明らかではありませんが、リーグから� ��分配金がどの程度のものなのでしょうか?。適性と推測される球団運営の規模であるライン(個人的には3~3.5億円規模と推測しています)まで届いている球団は、ほとんどないのではないでしょうか?。聞くところでは、適正規模の半分程度という球団もある、らしいのです。淘汰されるべき、という意見の関係者もいれば、いまは淘汰されるタイミングではない、という人もいます。私は、先に述べたように、安定した持続体制を築く時期だと考えています。飛行機で例えるなら、テイクオフに向けてのランディングを開始したばかりなのが現状のbjリーグであり、テイクオフまでにはまだまだチーム個々の経営という視点での努力が必要であるように思います。もちろん、既に安定に向かっている球団もあるでしょう。しか� �、リーグは、特定の一部のチームだけで成り立つものではなく、リーグ全体の中での競争が激しいからこそ、ビジネスとしての力を増してくるものだと思うのです。当然その競争とは、経営的に淘汰されることを示すのではありません。ファンや観客の期待に沿ったスポーツ競技としての魅力を指すものです。 JBLに今年加盟したリンク栃木ブレックスを見ていると、戦績は苦戦していますが、球団経営という点では、田臥選手獲得の影響もあってか、まずまずのスタートを切ったと思います。(監督更迭問題は別として・・・)アメリカで言われるフランチャズビルダーとしての責任を見事に果たしている、と言えるでしょう。もちろん、勝負の世界ですから、勝つことがビジネスを大きくする根源にもなりますし、リーグ全体の興行価値をより引き上げるものにもなるでしょう。ある意味では、田臥選手の存在が、ホームで戦う他の7チームの観客動員にも影響している姿を見ていると、リーグとしてのフランチャイズビルダー的な役割も担っているようにも見えてきます。それが良いことなのかどうかは、ファンの判断に委ねるしかありま� ��んが、経営的には一考の余地があることは間違いありません。田臥選手個人の存在が、リーグとしてのブランドを体現するものではないからです。それを勘違いすると、先はない、と危惧するのは私だけでしょうか?。リンク栃木のプロチームとしての経営は順調だとしても、リーグとしての軸足は、まだまだ曖昧なものだ、ということです。そして、3つ目のプロチームの登場を、いまは期待するばかりです。 ヨーロッパの現状を検証する話とは少しずれましたが、ヨーロッパの実情を垣間見ると、ますます日本の現状の課題の一つ一つが浮き彫りになるように思えます。リーグやチーム、クラブの視点だけでなく、試合会場となる施設の問題にもそれは及びます。NBAの日本でのビジネスにかつて関わった経緯から言っても、NBAは間違いなく世界No.1のリーグです。そして、NBAは、ヨーロッパにもフランチャイズを広げるべく構想を持っていると聞きます。スポーツのマーケット単位がますます広域化していく時代の中で、アジアの"ファーイースト"の中の"島国ニッポン"は、どのような方向に"アクション"していくのか、期待を込めて見続けたいと思います。
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2008年11月11日
「欧州の現状、そして日本バスケットボールの行く末」その7 ~広域リーグの可能性
ヨーロッパ・バスケットボール・リーグ連合、ULEBが主催するユーロリーグへの出場を争う欧州各国の全27リーグには、合計で326クラブがそのトップリーグに所属しています。各国のリーグ毎に、所謂2部リーグがあるリーグもありますので、すべてを数えると更にその数は多くなるのは間違いありません。各リーグ毎の加盟クラブ数はマチマチですが、10クラブ前後という規模が平均で、ドイツのブンデスリーガは18クラブ、スペインのACBが17クラブ、イタリアのセリエAが16クラブなど、強豪と言われるリーグほど、加盟クラブ数は多いのが実情のようです。326クラブは、たった24クラブの出場枠のユーロリーグを目指して凌ぎを削っているわけで、そのまた下にはユーロカップやユーロチャレン� �という登竜門があるということを踏まえると、ヨーロッパのバスケットボールの戦いの舞台は、本当に過酷なものであることが覗えます。そして、各国単位のリーグは、一番末端の、言い方は悪いと思いますが、ユーロリーグの予選という位置付けになります。一国単位の立場から見ると途方に暮れる規模です。 国際バスケットボール連盟、FIBAは、いよいよ来年から、クラブによる世界選手権、FIBA WORLD CLUB CHAMPIONSHIPを創設しようとしています。開催期日は、現段階で、10月14日からの5日間。場所は未決定のようですが、開催費用を賄える都市の選考が現在行われているようです。ユーロカップ、そして欧州各国リーグの開幕直前というスケジュールの中で、単なるプレシーズンの意味合いではなく、真剣勝負の舞台としての大会の意義が出していけるのか、非常に楽しみではあります。更に、来年からNBAのチャンピオンチームの参加は可能なのかどうか、また、各大陸からの出場枠はどうなるのか。サッカーのFIFAクラブワールドカップは、昨年は浦和レッズがアジアチャンピオンとして出場し、大きな注目を浴びつつあります。昨年からは開催国リーグ枠が設けられ、Jリーグからの出場も可能にはなりましたが、やはり、ア� ��アのトップとしての出場にこそ意義があります。このサッカーの例を踏まえると、バスケットボールの場合、まだまだクラブ単位での注目度は低く、世界的な認知を得るのもまだ先の話になるでしょうが、やがては「世界No.1クラブ決定戦」としての大会の位置付けを、バスケットボールも得られるようになるのでしょう。 こうした背景から考えると、日本のバスケットボールの置かれている現状は、リーグという視点から見て、チームの数という点ではトップリーグだけでもJBLで8チーム、bjも来季からは13チームになり、数の面からだけでは20という数を超えるものになり、数的には遜色ありません。ただし、日本のバスケットボールが、世界的なレベルの向上というところで後れを取りつつあるひとつの要因として、日本国内のリーグの上のタイトルを目指していく競争意欲というか、世界と戦うためにリーグがある、という意識というものが、現在のプレイヤーの中にあるのかどうかは疑問です。これは、プレイヤー一人ひとりという問題だけではなく、リーグとしてのJBLや、その上部組織である日本バスケットボール協会の考え方にも� ��因があるのかもしれません。ひとつの実例として挙げられるのは、FIBAアジアが主催するアジアクラブ選手権であるFIBA ASIA CHAMPIONS CUPに日本からはほとんど参加歴がない、ということです。JBLとbjリーグの連携云々という話題は別にして、JBLに限れば、日本のリーグで勝ち、アジアへ挑み、世界のクラブと雌雄を決する、という海の向こうに目標を設定してチームを作っている気配はまるで感じられません。3月末にリーグが終わればそれですべてシーズンは終わり、というのが実情でしょう。もちろん、ナショナルチームの活動がありますから、その辺の影響を踏まえることも必要だとは思います。しかし、リーグすべてがナショナルチームに関与するわけではない。その辺から考えると、FIBAが新たに創設するクラブ世界選手権への出場を目指したアジアへの挑戦は、少なくとも来季から開始していかないと、ますます世界の動きに遅れを取っていく� ��うな気がしてなりません。まずは"アクション"を起こすべきと考えます。ちなみに、今年のアジアクラブ選手権は、カタール、レバノン、イランなどの中東諸国のリーグチャンピオンを中心に、10チームが参加して、5月上旬にクウェートで開催されました。優勝はイランのチーム。現在、代表レベルでのイランの台頭は目覚しく、その強さを支えているのは、こうしたクラブの力なのかもしれません。もちろん、中東からは、現在多くの選手がヨーロッパのリーグへ参加するケースが多くなっていると聞きます。国内リーグの実力の程は分かりませんが、アジア選手権での成績を見る限り、確実に力を付けていることは間違いありません。 世界、そしてアジアが新たな動きを始めている中で、"島国"ニッポンは、どの方向を見据えて"アクション"を起こしていくべきなのか。JBLの2つのプロチームの中で、今年9月、レラカムイ北海道が、アジアバスケットボールリーグ(ABA)に参戦しました。参加したのは、中国、韓国、香港からの各チームを加えた4チームでした。結果は、レラカムイは決勝で敗れましたが2位という成績でした。ABAは1992年に発足していますが、当時はアジア全域でのリーグ開催を目論んでいたように記憶していましたが、現状は短期間の交流試合的な意味合いは隠せません。しかし、このABAの存在云々は別にしても、アジア地域、少なくても東アジア地域での広域リーグは、今後、代表レベルでもヨーロッパ勢に立ち向かっ� ��いく力を付けていくためにも、必要な時期に来ているように思います。単なる交流ではなく、タイトルをかけた戦いの場として・・・。そして、すべては、FIBAが世界タイトルを創設するタイミングでの世界の動きに対する同調の仕方で変わってくるのだと思います。 ユーロリーグとの交流について、以前bjリーグは発表していましたが、その後の動きにも興味は沸きますね。
posted by umekichihouse |06:27 | バスケットボール | コメント(0) | トラックバック(0)
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